■保育園で1本指で美空ひばりをピアノ演奏。老人ホームで歌った『東京キッド』が転機に
01年5月28日、ひらりさんは新潟県三条市で生まれた。このとき絵美さん27歳、ひらりさんの父は1つ上の28歳だった。
「明け方、タクシーで病院に行ったらドバーッと、破水ではなく出血して緊急帝王切開に。生まれてきたひらりは、仮死状態でした」
手術を終えたばかりの母を残し、ひらりさんは県下でもっとも大きな総合病院に救急搬送された。そこで、一命は取り留めたものの、重い障害があることが判明する。翌日、絵美さんは医師からこう告げられたという。
「視神経低形成のため、お子さんはこの先も、目が見えるようになることはないでしょう」
その言葉を、絵美さんはすぐにはのみ込めなかった。
「ショックというより、『なんで!?』という思いが強かったです。もう意味がわからなかった。ただ、産む前から『どんな子だろうと絶対育ててみせる!』と、勝手に思い込んでましたから。なんとか前を向けたと思います」
2週間後。退院した絵美さんはすぐ愛娘のもとに。そして、先述のとおり、初対面のわが子に頭を下げると、気持ちを切り替えた。
「『この先、私は何したらいいんだ?』ってことばかり考えました」
ひらりさんは2歳になるころまで、入退院を繰り返した。
「入院中もジメジメと落ち込みたくないから、病室におもちゃをたくさん持ち込んで。『目が見えないってことは、この子、耳はいいんじゃない?』って、これも勝手な思い込みですけど。おもちゃの楽器、子供用のマラカスや太鼓、タンバリンなんかを、見えなくても探せるように、ひらりが手を伸ばせば届くところに並べてました」
ひらりさんが2歳になるころ、絵美さん夫婦は離婚。以降は母娘2人だけの生活に。
「見えないからこそ、ひらりには普通の子と同じようになんでもさせたい、そう思ってました。何より生活のため働かないと。でも、保育園が見つからないんです」
市内10カ所以上の保育園を回ったが「目の見えない子は受け入れられない」と断られ続けた。途方に暮れ「何度、泣いたかわからない」と絵美さん。わらにもすがる思いで駆け込んだ市の相談窓口ではこんなことまで言われてしまう。
「目が不自由な子なんだから、母親のあなたがもっと愛情を注いであげないと。家で2人、仲よくしていなさいよ」
その言葉に「打ちのめされるどころか、逆に闘志が湧いた」と、絵美さんは笑って振り返った。
「『なんでそんなこと、言われなきゃならないのよ!』って。メラメラ火がついた感じ。くっそー、絶対、なんとかしてやるって」
当たって砕けろとばかり、手当たり次第に動いた。保育士向け勉強会に、無理やり参加したことも。
「そこで知り合った先生のいる保育園に、ダメもとで遊びに行って。そのときはもう、いい子にしてるの疲れてしまって。ほかの子みたいにお行儀よくしなくていいやって、ひらりと2人、泥まみれになって遊んでたんです。そうしたら『え、目が見えない子なのに、そんな大ざっぱな感じでいいの?』って驚かれて。『だったら、うちに来る?』って言ってもらえたんです」
やっと入れた保育園で、ひらりさんの才能が開花する。教室にあった自動演奏機能付きの電子ピアノ。そのデモ演奏を聴いた瞬間、ひらりさんの表情に変化があった。
「すごく興味を持ったものに触れると、ひらりは白目をむくクセがあって。デモ演奏で美空ひばりさんの『川の流れのように』を聴いた途端、そのクセが出たのを、先生が見逃さずにいてくれて」
本人も、その瞬間を覚えていた。
「うまく言えないんですけど、なんか曲に自分が呼ばれているような感じ。ふわ?っとした気持ちになって、曲の中に自分が入っていく、そんな気がしました」 保育士は「ひばりさんの歌が好きなのね」と、CDをたくさん聴かせてくれた。
「聴いてるうちにこの子、ひばりさんの曲をピアノで、1本指で演奏し始めたんです」
絵美さんは、娘が生後6カ月のころから手を付けず蓄えていた障害者手当で、アップライトのピアノを買い与えた。ひらりさん5歳のときだ。そして、同じ年の11月、彼女は初の“ステージ”に。
「コンサートを開いたわけじゃないんです。老人ホームのボランティア募集の記事を読んだら、そこに『お話でも、歌でも慰問大歓迎』って書いてあって。私、すぐ電話したんです。『うちの子、目は見えないけど歌はわりと上手です。行っていいですか?』って」
快く迎えてくれた老人ホームで、ひらりさんは大好きな美空ひばりや、童謡を数曲、披露した。
「そしたら、おじいちゃん、おばあちゃんたち、とっても喜んでくれて。なかには涙を流してる人も。そして、ひらりに向かって『ありがとう、上手だったよ、またおいで』って声をかけてくれて」
絵美さんは「これだ!」と思ったという。
「いつも『ありがとう』を言うのは私たちのほうだったから。ひらりが歌うと『ありがとう』が返ってくるんだ、って気づいたんです。ひらりの歌は、いままで助けてくれた周囲の人たちへの恩返しになる、そう思ったんです」
その日、絵美さんは娘の肩に手を置き、力強く言った。
「ひらり、これからどんどん、歌っていくよ」