■生放送で起こった、忘れられないハプニング
大きな転機は、コカ・コーラのCMソングに抜擢された『夏色のナンシー』(’83年)だ。
「5枚目のシングルで、はじめてオリコンランキングにチャートインして、一気に仕事が増えました」
新曲のプロモーションで中国地方へ行ったときには、事前に準備していたサインでは間に合わないほどの人が集まった。
「2時間くらい、ずっと握手していたのを覚えています。その後、タクシーで移動しているとき、ラジオで『夏色のナンシー』が流れ、年配の運転手さんから『これ、あんたの曲だろ。ヒットするんじゃないの』と声をかけられたんです。ファンばかりでなく、幅広く知ってもらえるようになったのが、うれしかったです」
“売れて忙しくなる”一方で、芸能界の厳しさを思い知ることにもなる。
「『夏色のナンシー』が売れてからは、雑誌の取材でも『今回はカラーページだよ』と待遇ががらりと変わって、うれしい半面、子どもながらにショックでもありました」
ちょうどその時期、今でも忘れられないハプニングがあった。
「『夏色のナンシー』で、何週か続けて『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・TBS系)に出演したときのこと。私の前にYMOさんとサザンオールスターズさんが登場する予定だったんです」
その2組とも中継の予定だったが、うまくスタジオとつながらず、急きょ、早見さんの出番が回ってきたという。
「楽屋のモニターを見て、聖子さんが『あれ、中継、飛んでるよ。このあと優ちゃんじゃない?』といち早く気づいてくれたんです。それで、背中のファスナーを聖子さんに上げてもらったりしながら、急いで衣装を着たのですが、司会の黒柳徹子さんの最初の呼びかけには全然間に合わず……。鏡張りのドアが3回くらい空で回って、ようやくスタジオに出られたんですが、それからも、すでに歌い終わってソファに座っていたちえみちゃんが、外れていた私のサンダルのストラップをつけてくれたり、黒柳さんには『あなた、口紅つけなくても大丈夫なの?』って聞かれたり、大慌てで、歌はボロボロでした」
そんな生放送でのハプニングも、貴重な経験の一つとして、次々に仕事をこなしていった。
「1日の睡眠時間は4時間。ご飯を食べる時間もないから、マネージャーさんが気を利かせて、雑誌の取材場所を喫茶店にしてくれたりするんです。それで、ピラフを注文してみるんですが、取材を受けながらでは食べられないじゃないですか。けっきょく、話をしながら口に運びやすく、しかもおなかもいっぱいになるクリームソーダばかりを頼んでいました」