92年6月、メガロポリス歌謡祭で復活のスマイル 画像を見る

「明菜は毎回、死ぬ気で歌っていた。過酷な芸能界で命を削ってきた。デビューしたころ、多忙な彼女は番組で出番が終わると、横でウトウトすることもありました。指で肩をつつくと、目を覚まして笑うんです。その笑みが何のゆがみもなくて、純真無垢だった。芸能界にいちゃいけない笑顔だなって」

 

同じ’82年デビュー組の川田あつ子(56)は、間近で見てきた印象を思い返す。5月1日、中森明菜がデビュー40周年を迎える。なぜ、彼女は多数のライバルをはねのけ、時代を切り開けたのか。そしてなぜ、活動を休止しているのか――。

 

明菜の歌はデビュー前から聴く人の魂を震わせてきた。’79年、中学2年の少女は山口百恵らを輩出した『スター誕生!』(日本テレビ系)に応募した。同番組の地区予選の審査員兼ピアノ伴奏を務め、のちに明菜を指導するヴォイストレーナーの大本恭敬氏(86)はすぐに素質を見抜いた。

 

「鼻にかかった声に独特の艶っぽさと憂い、低音の魅力を感じました。ただ、通過後の本選で歌った岩崎宏美の『夏に抱かれて』は音域の広い難しい曲で、自分のよさを生かしきれなかった」

 

不合格となった明菜は翌夏、再度挑戦して松田聖子の『青い珊瑚礁』を歌う。審査員の松田トシは「顔が子供っぽいから無理ね。童謡でも歌っていたほうがいいんじゃない?」と酷評した。明菜は「スタ誕では童謡を受け付けてないじゃないですか」と毅然と反論した。

 

2度の不合格をバネに、翌年3回目の挑戦で番組最高得点を出し、本選を通過。’81年11月18日の決戦大会で11社のプラカードが上がり、事務所は研音、レコード会社はワーナー・パイオニアに決まった。ワーナーの邦楽宣伝課の富岡信夫氏(70)がプロモーションに使える材料を探すため、明菜にアンケートを記入してもらうと、「尊敬する人物」に「矢沢永吉さん、桃井かおりさん」と書かれていた。

 

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