安藤優子語る認知症の母の壮絶介護「家族だけでは限界あることも…プロを頼って!」
画像を見る 痛感したのは介護における“第三者”の大切さと語る安藤さん

 

■在宅介護を引き留めたお手伝いさんの言葉

 

安藤さんを思いとどまらせたのは、安藤さんの家に勤めていた元看護師のお手伝いさんだった。

 

「『優子さんが海外に行っているときどうするんですか? 夜中は誰がお世話するんですか? あなた1人での介護は無理。できないことを一時の感情にまかせて言わないで』そう、諭されました」

 

このことが安藤さんにとっては、大きな転換点となった。

 

「この言葉がなければ、私は1人で母の介護を抱え込むことになっていたでしょう。以前、介護殺人に関する本を読んだことがあるのですが、あのとき母を引き取っていたら、他人事ではなかったと思います。それくらい大きな岐路だったと思います」

 

その後、みどりさんは半年ほどかけて、施設での暮らしを少しずつ受け入れていった。

 

「介護士の方が上手に話を聞いてくれたりして、母は徐々に心を開いていきました。それに、プロの方々は介護される側に最小限の負担でケアすることができます。おむつ一枚替えるのも30秒以内で済ませられるんです。私たちが無理して介護することは、介護される側もつらいんだと感じましたね」

 

入所から1年後、母のみどりさんは「臨床美術」と出合う。ハワイ好きのみどりさんは、ハワイの写真を見たり、フラの音楽をかけながら、専門家の指導の下で週に1度絵を描いた。

 

「最初は落書きのようでしたが、あるとき、アンスリウムの花を描いたんです。母は、その絵を描いたあと『よく、できた』と絞り出すように言いました。このことは、認知症になってから、自分を否定し不安や怒りの中にいた母が、自己を肯定するきっかけになったようで、その後、認知症の症状が落ち着いていったんです。こうやって母を楽にすることも、家族だけで介護していては思いつかなかったかもしれません。私も目の前にいる母を肯定することができ、関係修復のきっかけになりました」

 

’14年、みどりさんは朝ご飯を最後の一口まで食べたあと、穏やかに旅立っていった。

 

壮絶な介護経験を経て、安藤さんが痛感したのは介護における“第三者”の大切さだ。

 

「家族で抱えてしまいがちな介護の問題。でも、どうか家族以外も頼ってください。それが、自分も親も救うことにつながるんです」

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