19歳の頃からピンクハウスの虜になった森尾さん 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、大好きだったおしゃれの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「’80年代といえば、やっぱり聖子ちゃんに尽きますよね。あんなフリフリのレースのついた、フランス人形のようにかわいい衣装は、女の子の夢です。その影響もあって、ピンクハウスは憧れのブランドでした」

 

こう語るのは、女優の森尾由美さん(56)。来年、前身番組から数えて放送開始30年目を迎える『はやく起きた朝は…』(フジテレビ系)でも毎回着用しているため、“森尾由美といえばピンクハウス”のイメージが強いが、その道のりは長かったという。

 

松田聖子がデビューしたのは、森尾さんが中学2年生のとき。お気に入りの雑誌『セブンティーン』でアイドル情報を仕入れていた。

 

「友達と代わりばんこに買って、回し読みしていたんです。それで私が買った号の懸賞に応募して当たったのが、後楽園球場で行われた、デビュー前のたのきんトリオのライブ。ちょうど『3年B組金八先生』第1シリーズ(’79〜’80年・TBS系)の放送が終わったころでした」

 

娘一人でコンサートに行かせることを両親は心配したはず。

 

「でも、めったにないチャンスだったから、家出してでも行く決意でした(笑)。たのきんトリオと触れ合えるわけではないのに、おしゃれのつもりで、ちょっと踵の高いクツを履いていきました」

 

特設の大スクリーンなどもなく、ステージに見えるたのきんトリオは、米粒ほどの大きさ。

 

「どれがトシちゃんで、どれがマッチかもわかりませんでしたが、周りの女のコたちの熱狂的な雰囲気に酔っていました」

 

『セブンティーン』は、そんな貴重な思い出とともに、人生の転機も与えてくれた。

 

「読者モデルに応募したんです。結果は落選でしたが、後に所属することになる芸能プロのスタッフが、編集部で私の写真を見て興味を持ってくれて、社長が電話をくださったんです」

 

とはいえ、スカウトといえば原宿の竹下通りでされるのが定番の時代。突然かかってきた電話を訝しく感じたという。

 

「社長は『1回、事務所に来てくれないか』と説得するのですが、父は『どうせ机ひとつに、電話1本の小さな会社だ』と怪しんでいました。でも、確かに事務所には、机と電話が4台しかなく“さすがパパはすごい”って感心しました」

 

高校受験を控えていたため、一度は断ったものの、社長は受験予定の学校にまで足を運び、芸能活動を認めてくれるよう頼んだ。その熱意にほだされ、芸能プロに所属することに。

 

「でも、最初はオーディションを受けてもことごとく落ちる。演技の知識もなく、レッスンもしていなかったから、オーディションで『そのバミリ(立つ場所の目印)に立って』と指示されても、理解できないんです。同時期に所属した野々村真くんと『またダメだったね』って、愚痴を言い合っていました」

 

そんな苦労のなか、ようやくつかんだ役は、原田知世主演のテレビドラマ『ねらわれた学園』(’82年・フジテレビ系)だった。

 

「共演者には児童劇団出身者も多く、ぜんぜんついていけませんでした。監督に『笑え』と言われても笑えず、怒られたり。本当につらくて、ドラマの撮影が終わったときは“これで芸能界を辞められる”とうれしくて涙が出ました」

 

だが、同じころ、雑誌のグラビアページを飾って知名度を上げていた森尾さんには、すでに歌手デビューへのレールが敷かれていた。

 

「大人たちの思惑に流されていったという感じです(笑)。歌のレッスンもしたことがないのに、ぱっぱ、ぱっぱとレコーディングも終わっていくんですよ」

 

歌手デビュー前年の’82年には、中森明菜小泉今日子堀ちえみといった黄金世代がデビュー。

 

「衣装も’80年デビューの聖子ちゃんを踏襲した王道アイドルが多かったので、私たち’83年デビュー組には、違うカラーが求められたんですね。私は、聖子ちゃんのようなフリフリではなく、“元気で活発な女の子”なイメージの、ミニスカートにバスケットシューズという衣装。“バッシュなんて、いつも履いてるのに”って、なかなか受け入れられませんでした」

 

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