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’22年10月、岸田政権がリスキリング(学び直し)支援に5年間で1兆円を投入することを表明。興味はあるものの、ハードルの高さも感じている人のために、リカレント教育を経験した先輩たちの経験談をお届けします。

 

「46歳で大学院に通い始めたきっかけは、当時、“女性キャスターの時代”みたいなことを言われ始めて、女性というだけでもてはやされるような風潮が出てきたときに、私がテレビで発する言葉に対して、これでいいんだろうか、という疑問がすごく湧いて、自分の発する言葉の裏付けが欲しい、と思ったからです」

 

上智大学外国語学部比較文化学科(現・国際教養学部)在学中、女子大生キャスターとしてデビューし、26歳の若さでギャラクシー賞を受賞するなど、“働く女性のトップランナー”として注目されていた安藤優子さん(64)。

 

「当時の報道の現場は、間違いなく保守的な男性社会で、しかもロールモデルもいなかった」

 

まさしく全力疾走し続けた安藤さんは、’05年、母校の上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科グローバル社会専攻へ入学。

 

「まず修士課程に3年、続いて博士課程を終えるのに5年、その後、博士論文執筆に4年でしたから、12年間、大学院に通いました」

 

そこには、報道の現場とは、まったく違う時間が流れていた。

 

「テレビの生放送は、秒単位で、反射的なリアクションが求められます。その対極が、学ぶということでした。またチームワークのテレビに対して、大学院では一人で本を読む、考えるで、自分自身ともじっくり向き合えたんです」

 

キャスター業との両立には、時間のやりくりが必須だった。

 

「授業は全部英語で、1週間で100ページを超える英語の論文を読んでディスカッションなど。しかし、アラフィフだった私は、あえて帰宅後は勉強も仕事もしないで、頭を切り替えるようにしました。その代わり、テレビ局でも、仕事の合間に3分の時間を見つけては、論文を読み返したり。ですから、普通、修士は2年で取りますが、フルタイムの仕事をしながらの私は3年かかりました」

 

テレビ局から東京・四谷の上智大のキャンパスへ行くと、自然に頭も切り替わったという。

 

「ホッとしましたね(笑)。何がよかったって、みんな、普通に扱ってくれるんですよ。ニュースをやっている安藤優子じゃなくて、同じ教室にいる安藤さん、として。その感覚が私には新鮮でした。

 

現役から院に来たコなんて、20代前半。その年ごろの留学生も多かった。私、今でも彼らと友達なんです。その後、就職したり、帰国したりしていますが、SNSによる情報交換などは続いてます」

 

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