子どものころ『古畑任三郎』にハマっていたという植村花菜 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったテレビ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「小3から、実家の隣に住む祖母と2人暮らしをしていたのですが、祖母は夜8~9時には寝てしまうんです。夜、私一人だとヒマだし、寂しい。だから、テレビばかり見ている子どもでした。ドラマはミステリー系が好きで『ケイゾク』(’99年・TBS系)なども見ていましたが、いちばん印象に残っているのは『古畑任三郎』(フジテレビ系)。レギュラー版はもちろん、スペシャル版まで全話見ているはず」

 

そう話す植村花菜さん(40)は、母子家庭の4人きょうだいの末っ子として育った。幼少期の思い出は、自転車に補助輪なしで乗ったこと。

 

「小学校に上がる前に“今日、絶対に乗れるようになるんだ”と決めた日があって、朝から暗くなるまで、何度も転んで血まみれになりながら練習しました。“これをやる”って決めたら、あとさき考えずに行動してやり抜くという性格は、このときからのもの」

 

そんな性格の植村さんが“歌手になる”という夢に出合ったのが、小学3年のときだ。

 

「家で母と2人きりのときがあって、映画『サウンド・オブ・ミュージック』(’65年)のビデオを見せてくれました。主役のマリア先生がトラップ大佐一家を家庭教師として訪れるものの、子どもたちに受け入れてもらえず意地悪されてしまう。それでも、歌を通じて絆を深めていくという物語でした。音楽というのは、人と人とをつなげる力や、人を幸せに、笑顔にする力があるんだなって子どもながらに感動して“将来、私も人を幸せにする歌手になろう”と決めました」

 

その日から、自己流で歌の練習を始めた。

 

「毎日、家族にうるさいとか耳障りだとか言われながら(笑)。カセットテープに自分の歌を録音して“ここは表現の仕方が悪いな”とか、改善点を見つけて研究を重ねました」

 

それからしばらくして隣で暮らす祖父が亡くなり、「おばあちゃんが一人でかわいそうだから」と、祖母との2人暮らしが始まった。

 

祖母が寝てしまった後は、誰に気兼ねすることもなく自分の見たい番組を見ることができた。歌手になる夢を描いていた植村さんは、歌番組をもれなくチェック。

 

「『ミュージックステーション』(’86年~・テレビ朝日系)、『ポップジャム』(’93~’07年・NHK)、『うたばん』(’96~’10年・TBS系)と、ありとあらゆる音楽番組をすべて録画して、自分の好みに関係なく、はやっている歌は全部そらで歌えるくらい練習しました。友達から『あれ、歌って』と言われたら歌えるような、人間ジュークボックス状態」

 

’90年代から急増したカラオケボックスも小学5年から利用し始めて以降、毎週末、7~8時間歌い続けたという。

 

「当時は、今井美樹さんの『PIECE OF MY WISH』(’91年)がすごく好きで、おはこでした。家でも歌の練習をしていましたが、カラオケでマイクを持って歌うのが楽しかったんです」

 

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