「“透明な存在な人”はこの世には誰もいない」『虎に翼』脚本家・吉田恵里香さんが語る朝鮮人差別、同性愛、原爆裁判を取り上げ続けた理由
画像を見る 向田邦子賞の授賞式に愛息とともに出席した吉田さん

 

■子宮口が広がるギリギリまで、原稿の赤字入れやメールチェックの仕事を…

 

そして30代、「仕事をさらに頑張って一段階上を目指したい」と志す吉田さんの環境は激変していく。

 

「近くに暮らしていた祖母が92歳で亡くなりました。80代から認知症が進んできていて、希望の施設を探すための一時施設にいるとき、安らかに天寿を全うしました。コロナが世界に蔓延する直前で、フランスに暮らす叔母や従妹も、葬儀に参列できました」

 

すでに吉田さんは結婚を決めていたが、祖母の死とコロナ禍で両家の顔合わせや入籍が延期に─―。’20年1月に入籍。だがその前年に新たな命を授かったことが判明。

 

「事務所からは『がっつり仕事は無理だね』と言われて。私も“今が一段階上に行ける頑張りどきに、出産して仕事が減ってしまう”という不安がありました」

 

劇中の寅子は激務のなか、妊娠が判明し弁護士の道を断念することになるが、吉田さんは……。

 

「母が『せっかくここまで来たんだから。全力でサポートするから、今までどおりの仕事をしなさい』と、背中を押してくれたんです。母に支えられて今があります」

 

出産も仕事もと決意した直後、コロナ禍が始まった。

 

「私の仕事もどうなるか……。妊娠中なので会議がリモートなのは助かるけれど、それがずっと許されるのかと不安になりました」

 

食べづわりで体重が27キロ増加するなか、執筆していたのが「チェリまほ」と呼ばれ話題となる『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(’20年、テレビ東京系)だ。

 

「臨月を迎え、夜10時ごろ、『ブラックシンデレラ』のリモートの打合わせ中に破水したんです。病院に行き、4人部屋のベッドのカーテンを閉め子宮口が広がるギリギリまで、原稿の赤字入れやメールチェックの仕事をしていました」

 

朝方痛みがひどくなり分娩室へ。

 

「朝7時ごろに息子が誕生しました。コロナ禍で面会はできません。生まれたての息子の写真を家族に撮ってほしかったけれど頼めない。だから看護師さんが撮ってくれました。授乳も徹夜仕事に慣れていたので苦ではなかった。息子もすごくお利口で生後すぐ3?4時間寝てくれたのも助かりました」

 

出産したその日の夜も、吉田さんはメールチェックをしたり、出産後連絡が遅くなると連絡を入れたりと、一人で仕事をしていた。

 

「“出産ハイ”もありました。面会ができないので、1週間は一人穏やかに過ごせました(苦笑)。周りから『出産後だから仕事は無理ですよね?』と気を使われるのが嫌なので、なるべく出産したことは言わないでおこうと決めて。『産みましたけど、なにか?』くらいの気持ちで、何事もなく仕事に復帰したかったんです」

 

帰宅後、実際はつらい日々が続いた。母に赤ちゃんの面倒を見てもらいパソコンに向かうが──。

 

「産後2カ月ほどは、仕事をしたくても、頭が回りません。ずっとパソコンの前で、一文字も書けない時期が続きました」

 

自分の仕事のために費やしてきた時間。産後の体調、育児のための時間、作品は書きたい。でも書けない……焦りは募るばかり。

 

「とにかく手が回りません。脚本家として読書、観劇とインプットしたいけれど、育児と仕事で時間はない。それでも仕事はしたい! 私の場合は“仕事をセーブして、自分が思い描くキャリアを積めていなければ、きっと息子のせいにしてしまうだろう”と思いました。だから、育児と仕事に時間を最大限に使い、そのほかは諦める潔さが生まれました」

 

もちろん家族のサポートも大きな助けとなった。

 

「夫はもちろん、母と兄夫婦が助けてくれています。ピンチのときは保育園のお迎え、食事も頼っています」

 

寅子の娘・優未を、花江とその息子たちが面倒を見ていた場面とも重なって見える。

 

「母に頼りっきりで、今日は息子のために何もできなかったと思うと正直、落ち込んだりします。でも、母は私の活躍を喜び『(娘として)誇りに思っているよ』と声をかけてくれて。本当にありがたい。恵まれていると思います」

 

(取材・文:川村一代)

 

【後編】「“ダメなものはダメ”と言わなければ」『虎に翼』脚本家・吉田恵里香さん 朝ドラで社会問題描くことの賛否に明かした思いへ続く

 

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