■初対面の萩本の前で「シャーッ!」と気合を…「私の探してる理想形」(萩本)
潔い決断が勝俣の運命を変える。弁当店の店長として働きながら、根性をつける目的で「劇男一世風靡」に入門。朝5時から仕事、午後は稽古に明け暮れた。そんな生活が2年ほど続き、事務所から「欽ちゃんの新番組のオーディションに行ってきて」と指示された。
「柳葉(敏郎)さんが『欽ドン!』(フジテレビ系)の良川先生役でブレークしていたので、『同じ劇団にいいヤツいない?』と声が掛かり、僕と中野英雄さんが受けました」
初対面の萩本に「なんかできるの?」と聞かれた勝俣は、「はい!」と大声を出して立ち上がった。「じゃあ、ちょっとやってくれる?」と言われると、「シャーッ! シャーッ!」と気合を入れた。
「叫ぶだけで、何もやらないんだよ(笑)。そのときね、私の探してる理想形だと思った。自分のしたいネタを持っていると、言うこと聞かないんですよ。元気さと素直さがあれば十分」(萩本)
勝俣は萩本のもとで週6日、1日12時間を超す猛稽古を経て、’88年春『欽きらリン530!!』(日本テレビ系)にレギュラー出演。秋にはCHA-CHAの一員として、歌手デビューを果たす。
「田舎に帰って弁当屋を開こうと考えていた人間が、いきなりアイドルですからね。めっちゃ楽しかったですよ。超モテましたもん。テレビ局に入るとき、何十通も手紙をもらうし、毎日ファンの作ったお弁当を食べていましたから」
雑誌に「好きなもの:お酒」「欲しいもの:自転車」と載ると、自宅を知るファンが届けてくれた。
「陶器ボトルの『ナポレオン』とかガンガン送られてきて、アパート中が酒だらけになりました。自転車も5台送られてきた。『勝俣州和』と名前を書いたら、次の日に全て盗まれました。たぶん、ファンのコだと思います。新たに5台来たので、今度は『嶋田源一郎』に変えたら、大丈夫でした。天龍源一郎の本名は効き目がありましたね(笑)」
女性にチヤホヤされても、勝俣は次の戦略を冷静に練っていた。
「ファンは優しいから、何を言っても笑ってくれる。でも、勘違いしちゃいけない。活動中から、何人ものコに『彼氏できたんで卒業します』と伝えられたし、解散したら彼女たちはいなくなる。だから、コンサートのときも男にウケるような話ばかりしていた。そしたら、どんどんファンが減っていきました。それが『0人説』につながったんじゃないですか(笑)」