松本零士さん三回忌「なんて失礼なヤツだろう」家族が明かした手塚治虫宅での“運命の出会い”
画像を見る 牧美也子さんが作画を担当した『悪女聖書』。『女性自身』で3年にわたり連載され、続編も掲載された

 

■運命の出会いは手塚治虫宅 牧さんは「なんて失礼なヤツだろう」

 

「松本の父、つまり私の祖父は陸軍将校でパイロットでしたから、戦後はいわゆる戦犯扱いで公職追放となり、家族を食べさせるために、野菜を売ったりしていました。7人きょうだいの次男だった松本も幼い弟や妹を食べさせるために、祖父と一緒に大変な苦労をしたと聞いています」(摩紀子さん)

 

’38年1月25日、福岡県久留米市に生まれた松本零士さん。小学1年生のころから漫画を描いており、県立小倉南高校1年在学中に描いた『蜜蜂の冒険』で商業誌デビューを果たす。

 

やがて東京の出版社から声がかかり、高校卒業後、学生服姿で現金700円だけを握りしめ夜行列車に飛び乗った。インタビューなどでも、「夜行列車の中、反対側の座席に美女がいるといった妄想をしていました」、そう語っているが、まさに『999』に登場する謎の美女・メーテルの原型を思わせる。

 

上京して目指したのは、連載が決まっていた光文社の『少女』編集部。そして、この編集部に出入りしていたのが、バレエ漫画『母恋ワルツ』でデビューし、早くも人気少女漫画家になっていた牧美也子さんだった。

 

牧さんは、神戸生まれの神戸育ち。高校卒業後の銀行勤めから漫画家に転身したという異色の経歴の持ち主でもあった。

 

「父親が本の問屋をやっていて、『店が忙しくなったので手伝ってくれ』と言われて、銀行を渋々と退職しました。

 

ただ、小さいころから絵も空想するのも好きだったので、親の店にある漫画の本を見て、自分でもやってみようと思ったんです。父親のツテで、出版社に作品を持ち込んだのがデビューのきっかけでした」(牧さん)

 

牧さんが上京後に入った下宿が東大正門前の玉泉館。一方の松本さんもほど近い丸ノ内線・本郷三丁目駅そばの山越館へ。ここで2人の出会いのキーパーソンとなったのが巨匠・手塚治虫。摩紀子さんが語る。

 

「両親が最初に出会ったのも、手塚先生の東京の仕事場でした。先に松本がお邪魔していて、手塚先生が玄関から『牧さんが来たよ』と声をかけると、わざわざ眼鏡をかけ直してきた父が、“どれどれ話題の女性漫画家はどんな顔してるんだ”といったふうに見てくるものだから、母は『なんて失礼なヤツだろう』と思ったとか(笑)」

 

牧さんも、当時のことをよく覚えている。

 

「松本含め、若い漫画家たちの下宿の賄いが朝食と夕食のみだったので、みんなで集まって本郷かいわいでお昼ごはんを食べてお茶を飲み、その後は三々五々に散っていき、またそれぞれに漫画を描くという生活パターンでした。そうそう。たしか、手塚先生のお宅で闇鍋もしましたね」

 

やがて交際期間5年を経て、’61年3月に結婚。夫23歳、妻25歳の春だった。

 

「結婚のお祝いの会の発起人も手塚先生。新婚旅行は、伊豆長岡だったそうです。聞けば、松本は婚姻届出制度を知らずに、あとになってあわてて役所に提出したとか。式を挙げれば自動的に籍が入ると思っていたそうです。

 

ずっと漫画に夢中だった父は、結婚記念日も覚えていないと思いますよ。きっと尋ねても『いつだったかなぁ』でおしまいだったでしょう」(摩紀子さん)

 

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