「歌える子は、歌えない子を囲んで、囲んで!」
この夏、京都府京田辺市の聖愛幼稚園に、ピアニスト・竿下和美さん(50)の朗らかな声が響く。12月末に行われる、子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで3世代でのベートーベンの『交響曲第9番(第九)』の合唱コンサートに向けて、幼稚園のホールを借りて練習の真っ最中だ。
6月1日の初回に集まったのは合唱参加予定者110人のうち大人47人、子ども16人。難しいドイツ語での合唱は初めて参加する子どもたちにはハードルが高いが、今年は子どもの応募が倍に! ドイツ語の歌詞をカタカナで書いた紙を手にして“歓喜の歌”に四苦八苦する子どもたちを囲むのは、昨年、合唱に参加した子どもたち。竿下さん独特の指導法だ。やがてかわいい歌声が聞こえてきた――。
電子ピアノで伴奏しながら目を細めて子どもたちを見つめる竿下さんは、市民による第九合唱コンサートを主催するNPO法人「京田辺音楽家協会」の理事長だ。
今年で4回目を迎える「『全』市民第九合唱団」によるコンサート。“もっと多くの人に音楽の喜びを身近に感じてもらいたい”と’20年に設立されたNPO法人では、コンサートやイベントを行ってきた。年末の第九の合唱コンサートは大切なイベントのひとつ。
平和への祈りが込められた第九。その合唱団に子どもたちが加わるようになったのは今年で2回目だ。竿下さんがこう語る。
「大人だけの第九は全国各地にあると思いますが、どうしても子どもたちに参加してもらいたかったんです。子どもたちに伝えることで、私たちが願う『音楽があふれるまちに』を次の世代へとつないでいけるのです。それに子どもがいると合唱団の雰囲気が変わります。大人だけだと“人と比べて”自分が足を引っ張っているんじゃないかと気にする人が出てしまいますが、子どもが入るとそんな気持ちが皆無に。みんながいろんなものを受け入れられるようになるのです。ドイツ語で歌えるようになるのは大変ですが……」
実行委員長としてピアノを弾かずに裏方に徹する竿下さん、声かけにも熱が入ってくる。
「今歌えなくて当たり前! ゴールは12月です!」
マスク越しでも、彼女の活力とエネルギーに満ちた声が響く。
練習後、声の大きさに驚いたことを記者が伝えると、彼女はこう語って笑みを見せた。
「ふだんから『声が大きい』と言われます。そう言われて気づくんです。『あっ私、肺がんだったんや』と。この前も『竿下さん、声が通るから司会して』と頼まれ毎回司会をしているマルシェでは6時間もマイクを持ちっぱなし。『あの~、私肺がんなんやけど』と心の中で思いながらやっていました」
そう、彼女は肺がんの一種の「肺腺がん」を患っている。しかもステージ4の末期だ。
’23年2月末に肺腺がんとわかったとき、すでに肺全体に病巣は広がり手術は不可能だった。余命は1年半と告げられた。竿下さん、48歳のときだった。
余命宣告どおりなら、彼女の命が燃え尽きるのは’24年夏ごろだった。それでも、昨年末の第九合唱コンサートは、余命を超えた日に開催を決め、練習を重ねた。そして今年も――。
「死ぬイメージはありますよ。でもそれまではやりたいことを詰め込める期間。この第九のコンサートもそのひとつ。今はわくわくしています。だって宣告された余命の倍になる3年目に突入していますからね。あとどれだけ記録を更新していったろかな、と」
そう晴れやかに語った。
