「今年も第九に挑む」“余命1年半”ステージ4のピアニスト・竿下和美さんが「わくわくしている」最大の理由
画像を見る 子どもたちが「第九」のドイツ語合唱に慣れ親しめるように声かけする竿下さん。その活動が自ら治療を受ける病院で演奏する「音の灯コンサート」につながった(撮影:塩川真悟)

 

■「何年生きられるかよりも、ピアノを奏でられる時間がどれだけあるかが大事」

 

告知を受けたのは’23年2月末。実はその3年ほど前の’20年、地元の演奏家でつくる任意団体「京田辺音楽家協会」を、音楽による社会貢献を目的としたNPO法人に組織変更することを条件に、彼女は初代理事長に就任していた。

 

「NPOの立ち上げは、コロナ禍の真っただ中。コンサートは中止になり、世の中は音楽なんていらないという雰囲気に。それでも、人と人との関係が希薄になりがちな社会にこそ音楽が必要だと思い、あえてコロナ禍にNPO法人を立ち上げたのです」

 

オンラインでの演奏会、青空の下でのコンサートなど、これまでにない音楽イベントをするため竿下さんはたくさんの汗をかいた。

 

「イベント会場には多くの市民が集まってくれました。『ずっと閉じ籠もっていたけど、久しぶりにすごく気分がよくなった』と言ってくださる方も。やっぱり音楽は不要なものではなかったのです。新型コロナが、私の反骨精神を燃え上がらせてくれたのでしょう」

 

音楽イベントの企画や運営、助成金の申請……、慣れない仕事も加わり、当時の彼女の睡眠時間は3時間ほど。さらにコロナ禍で毎年の健康診断も思うように受けられなかったという不運も重なった。

 

竿下さんが患っている肺腺がんは、日本ではがんによる死亡者がもっとも多い肺がんの約6割を占めている。たばこを吸わない人でも罹患することが多いといわれ、女性の割合が高いことが特徴だ。

 

「がんかどうかを調べる気管支鏡検査では、どんな薬が効くかも同時に調べます。しかし、主治医の先生によると、最近は肺腺がんに有効な薬(分子標的薬)があるそうですが、私のタイプには合わなかった。そこでがんの増殖を抑える抗がん剤と自分の免疫を強くする免疫チェックポイント阻害薬を併用して治療していくと。それでも余命は1年半、5年後の生存率は10%という説明でした」

 

末期のがんの告知に加え、1年半という余命宣告。ところが彼女はこう思っていた。

 

「余命を聞いたとき『あ~よかった、あと1年半は確実にピアノが弾ける!』と。ステージ4でがんが肺全体に広がっているため、手術ができないと言われたときも『ラッキー!』と思いました。手術で体力が落ちてピアノが弾けなくなったら、生きている意味がない。何年、生きられるかよりも、ピアノを奏でられる時間がどれだけあるかのほうが私にとって大事でした」

 

’23年3月8日には、竿下さん自らのブログで「公表して頑張っていきます」とこうつづっている。

 

《自分って本当に「変人」だと思うのですが、逆に癌と付き合っていく自分の未来にわくわくしている部分があります。試練と言えば試練なのですが、この試練に直面したお陰で、何だか毎日一つ一つの物事に喜びを感じてます》

 

がんを公表したことついて、竿下さんはこう語る。

 

「体調が突然悪化したときに仕事をスムーズに交代してもらうためです。そもそもがんを怖いものだと私は思っていません。母もだいぶ前に違う部位のがんになり手術をしましたが、今も明るく過ごしています。また夫の父親も、私と同じ肺腺がんになり、抗がん剤治療をやっていますが、10年以上元気で暮らしています。私自身も、がんになったら『しゃあないわ』という思いがあったのでしょう」

 

前向きな気持ちでいられたのにはピアノの影響もあるという。

 

「ピアニストという仕事は常に未来を見ています。たとえば演奏会が決まれば、そこに向けていろいろ準備していく。後ろを振り返っている暇はありません。病気になると、つい過去を振り返って“なぜこんな病気に”と原因を探すことが多いと思います。でも、私には過去を振り返る習慣がない。常に頭の中では未来のこと。ポジティブになれたのはピアノのおかげでしょうね」

 

そう言うとフワリと笑った。

 

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