■「抗がん剤の副作用で鍵盤を押すと爪が割れることも。言い出したらきりがない」
死を怖がっている場合ではない。ピアニストとしての活動、そしてクラシック音楽で人の心と地域とを変えたい──。竿下さんには、夢中になることがたくさんあった。そんな竿下さんを家族は、どう支えたのだろうか。
「余命宣告を聞いて号泣した夫は“これから家事は俺がやる”と言い出しました。でもすぐに大変になったみたい。特に不得手な料理は寝言で“しんどい、しんどい”と言うほど。今はできる範囲で家事をサポートしてもらっています。娘には包み隠さずに伝えました。娘は泣くこともなく『ママはそう簡単には死なへん。私は私で人生を楽しむから大丈夫』と。竿下家の女性は強いのです」
竿下さんの気がかりは、彼女の病気が一家を振り回してしまうことだった。
「私ががんになったのは、娘が大学生になって、これから学生生活を満喫するとき。夫も社会保険労務士の国家資格に挑戦していた時期でした。がんになったからといって、やりたいことを諦めないでほしかった。私の病気が家族の中心になってはいけない。それぞれが自分の好きなことをする。それが私にとって一番なのです」
竿下さんは抗がん剤などの治療によって体調は安定している。抗がん剤の副作用について聞くと、
「足がしびれたり、むくんだり。最近は、鍵盤を押すと手の爪が割れることも。その時々で、いろんな副作用があるので、言い出したらきりがない。私としては、抗がん剤を打ったあとは不調なのに、まわりの人には元気に見えるみたい。それに病気のせいで『できない』ではなく『どうしたらできるか』考えるほうが大事。爪が割れるのも、ちゃんとケアしていればピアノも弾けるんです」
彼女はこう笑い飛ばした。そんな彼女の存在自体が、多くの人に影響を与えている。昨年の第九合唱コンサートに参加した佐伯芳子さん(仮名)もその一人だ。
「私は難病を患い、6年前には命を落とすかと思う経験も。いつも不安で家に閉じ籠もりがちに。音楽が好きな娘が学校で、第九の合唱団のチラシをもらってきたときも、こんな体だから……と。でも竿下さんは私と正反対。がんになりながらも音楽でみんなを明るく元気にしたいと活動されていることを知り、ぜひ参加しようと――。
私は病気との向き合い方がヘタクソで、家族にもいっぱい我慢させていました。でも合唱団に参加して、竿下さんを見ていると、病気に対する向き合い方も変わってきて、パーッと空が明るくなったような気分に。音楽の楽しさに触れたことで体調もよくなり、薬の量も減ってきました。今後、私に何かあっても、娘と一緒に第九を歌ったという経験は、娘の支えになることでしょう」
佐伯さんだけではない。竿下さんのリサイタルの後には「私も病気だけど、竿下さんからエネルギーをもらった」という人が少なくなかったという。
ピアニスト、NPO法人の理事長、そしてがんサバイバーピアニストとしての活動と、休む暇もない毎日。健康維持のために月1回、近くにある甘南備山を登山するという竿下さん。’22年には、強風のため9合目で断念したが、富士山登山にもチャレンジした。そのときのブログで彼女は《今までの登山経験で「下山が苦手」》とつづっていた。
11月23日には京都の「けいはんなプラザメインホール」でピアノソロリサイタル、そして年末には「3世代で繋ぐ第九コンサート」が待っている。つねに前を向き、高い山だろうが、低い山だろうが、竿下さんは少しずつ、そして朗らかに、今日も登り続けている――。
(取材:日野和明/文:山内太)
【後編】「未来に“音の灯”を」ステージ4のピアニスト・竿下和美さんが患者として治療中の病院で無料コンサートを開始へ続く
画像ページ >【写真あり】「宣告された余命の倍になる3年目に突入していますから、あとどれだけ記録を更新していったろかな」と力強く語る(他5枚)