■転倒をきっかけに寝たきりに……
働き者で体を動かすことが好きだった昭子さんは、’02年に自宅で転倒し腰を骨折する。
「コロナ禍で、家の中にこもっていたのもあり、だんだん筋肉が落ちていき、そのうち立ち上がれなくなって、食べものもかめない、物も持てないという状態に……」
主な介護は昭子さんと2人暮らしをしていた弟さんが担っていたが、2年ほどたったころ弟さんも調子が悪くなり、邦子さんは頻繁に実家を訪れの介護に加わった。
そのころの昭子さんはまだ会話ができたが、日中のほとんどをベッドの上で過ごすことが多くなっていた。その部屋からなんとも嫌な音が聞こえてきたという。
「母の部屋から、ゴツンゴツンと音が聞こえてきて、なんだろうと思って行ったら、心臓をゲンコツでたたいてたんです。『何をしてるの?』と聞いたら『心臓止まんないかな。もう死にたい』って。
そりゃ、死にたいよなって。親ですから、その気持ちはわかりました。華やかなことが好きだった人が、動けなくなりぶざまな格好で、人におむつを換えてもらう。これは屈辱的でつらいだろうなと」
自宅介護の限界を感じた邦子さん姉弟は、昭子さんの介護認定をとると、何軒も施設を見学した。
「近所にいいサービス付き高齢者向け住宅を見つけて入居しました。ホームに入ったら母がどんどんピカピカになっていく姿を見て、もっと早くに介護サービスを利用していればと後悔しました」
■母の介護の後悔から早めに終活を始めた
昭子さんの介護の経験をもとに、邦子さんは今、終活を行っているという。
「生前整理を進めつつ、介護付きの物件を見学しています。
あと、かわいがられるおばあちゃんになるために、後輩には親切にしています(笑)。それなのに、よくケチと言われるんです。私的にはリサイクルが上手なだけなのに。
でも、これも母譲りですね。高校生のころ、母の日にカーネーションを買って渡したら『無駄遣いして』と怒られて、それ以来、母の日のプレゼントはしてません。母と娘っていうのは、どこか分身のようなところがあるんですよね。だから、大嫌いと大好きが一緒になっちゃっている。
ずっと仕事で忙しかったけど、最後の3年間は、たっぷりと母と時間を過ごすことができました。お母さんありがとうね!」
画像ページ >【写真あり】生前の母・昭子さんと山田邦子(他2枚)
