バッハ会長「父さんはどれくらい生きれるの?」悲痛すぎる少年時代
画像を見る 結婚40年ほどになるクラウディアさんはバッハ氏が海外に行くときはいつも一緒だ。1977年にギムナジウム(中高一貫学校)教師をしていた彼女と結婚。クラウディアさんは、現在はドイツの全国的な障がい者支援団体Lebenshilfeの役員を務めている。2人の間に子供はいない(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 

■名門大在学中に金メダル…“文武両道”なバッハ青年

 

6歳のころ、フェンシングと出会ったことがバッハ少年の運命を変えた。多くのドイツ少年と同じように最初はサッカーに熱中したが、近所にクラブがなく、“草サッカー”で毎日擦り傷だらけで帰宅する息子を見かねた両親のすすめで、フェンシングクラブに入ったという。

 

14歳のころ、ついに父が亡くなった。58歳だった。このときのことをバッハ氏はこう振り返っている。

 

「父の死によって、責任というものを私は意識することになりました。それから、私の母は、多くのことにおいて私の助言を求めるようになったんです」

 

父代わりに、慕うようになったのがフェンシングトレーナーのエミール・ベック氏だ。のちに西ドイツのナショナルチームのトレーナーにもなるベック氏のもとで、バッハ氏はフェンシングにますますのめり込んでいった。

 

バッハ氏の身長は171センチと、この競技の選手としては小柄だ。トップレベルでは成功しないと言われたこともあったが、激しい練習で培った優れた技術と知的な戦術、そして持ち前の負けん気の強さで頭角を現す。

 

西ドイツのナショナルチームの一員となると、1976年のモントリオール五輪のフルーレ団体で見事金メダルに輝いた。世界選手権でもフルーレ団体で、1つの金メダルを含む3つのメダルを獲得。西ドイツの国内選手権でも6つの金メダルを獲得している。

 

一流のアスリートであると同時に、バッハ氏はドイツの名門・ヴュルツブルク大学の学生。まさに、文武両道を地で行く理想的な青年となった。

 

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