「リーダーのRMが最長で2年9カ月間、ほかのメンバーたちも同じくらい長い練習生生活をすごしてきました。
全部で30人以上が集められたのですが、その後もたびたびコンセプトやメンバー変更が行われることに。誰かが入ると誰かが出ていくという、サバイバルな生活が続きました。みんなお金もなく、いつになったらデビューできるのかという不安と闘ってきたそうです」(前出・韓国芸能関係者)
昨年12月発売の写真集『Dicon BEHIND THE SCENE~僕たちが一緒なら砂漠も海になる~』に掲載されたインタビューでも、メンバーは当時を回顧している。
SUGAは“月30万ウォン(約3万円)”の極貧生活についてこう明かしていた。
《プロダクションの近くのいちばん安い食事が6,000ウォンくらいでした。1カ月の生活費の30万ウォンだけでは到底足りませんでした。MIDIのレッスンとデリバリーのバイトを掛け持ちしていました。その時、事故に遭ってしまい、肩に大怪我を負いました。もうあきらめて田舎に帰ろうかと思ったけど…メンバーに引き留められました。会社も待ってくれました》
メンバー同士で励まし合い、なんとかデビューへとこぎつけた。しかし、その後も試練が待ち受けていたという。
「’13年6月に『NoMoreDream』でデビューを果たしましたが、メンバーたちに待っていたのは『三流』『プロダクションが小さいから売れない』『ありきたりの弱小アイドル』といった心ない批判。当時の彼らはHIPHOP色が強く、一般層には受け入れられにくい部分がありました。
またK‐POP歌手にとっては地上波の音楽番組で1位になることがステータスであり、目標とされています。大手所属のアイドルだと、デビューと同時に1位になることも珍しくありません。しかしBTSがその目標を達成できたのは、実に692日後のことでした。
晴れて『INEEDU』で念願の1位を獲得したとき、リーダーのRMは信じられないという表情に。そして『落ち着いてもっと頑張らないといけないと思った』とコメントしていました」(韓国音楽関係者)