■“平和は一人ひとりの責任ある行動で築きあげていくもの”、魂が震える愛子さまの作文
《原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた》
2016年5月、学習院女子中等科3年生だった愛子さまは、修学旅行で広島平和記念公園を訪れ、そのときの衝撃を作文に書かれている。タイトルは「世界の平和を願って」ーー。
当時、平和学習講師という立場で、学習院女子中等科の生徒たちを案内した被爆二世の瀬木寛親さん(58)は、
「愛子さまも熱心に説明を聞かれていたそうですが、学習院女子の生徒さんたちは、皆さん礼儀正しく熱心だったという印象です。
私は両親を含め、親族13人が被爆しています。親族やほかの被爆者の方たちから聞いた体験を、なるべく客観的に伝えることが大切だと常々考えています。
これからの皇室の中心的存在になられる愛子さまが、平和記念公園を訪れ、作文を書いてくださったことをうれしく思います。愛子さまは、“平和は人任せにするべきではない”と、つづられましたが、そのお考えに深く共感いたしました」
愛子さまの作文には、ご体験ばかりではなく、平和に関する考察も記されている。
《日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。
そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから》
当時、愛子さまは14歳。中学生とは思えない思慮深い視点をもち、また天皇家が担ってきた平和の祈りを、しっかりと受け継いでいらっしゃることを、両陛下は誇りに思われたことだろう。
「2020年、両陛下が核兵器廃絶に取り組む国連事務次長の中満泉さんを御所に招いて懇談された際、この作文のコピーを中満さんに渡されたのです。ご懇談のなかでは、戦争の記憶を次の世代にどう継承していくかということも話題になっていました」(皇室担当記者)
天皇陛下と雅子さまのお背中を見て成長していくなかで、愛子さまは「平和への祈り」を、体得されてきたのだ。
両陛下がインドネシアを訪問されているなか、愛子さまはお一人で6月23日の「沖縄慰霊の日」を迎えられたが、御所で黙禱を捧げられたという。また8月6日の広島「原爆の日」にも、ご一家そろって御所で黙禱を。
天皇家の平和の祈りの結晶ともいえる愛子さまの作文は、次のような文章で始まっている。
《卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた》
私たちも、青い空に平和を探し続けなければならないーー。