■かわいらしい笑顔の「キコちゃん」はブームとなった
1966年9月11日、紀子さまは川嶋辰彦さん、和代さんの長女としてお生まれになった。場所は和代さんの実家のある静岡県。ご成婚当時、母方の祖父・杉本嘉助さんは本誌に寄せた手記のなかで、紀子さまの誕生をこう振り返っている。
《生まれてきたばかりのあなたは2千850gの小さな赤ちゃん。全然泣きもせず、痩せていて目ばかり大きな子で、この祖父はちょっと拍子抜けしたものでした》(1990年7月17日号)
紀子さまが1歳のとき、経済学者で、のちに学習院大学の教授になる父・辰彦さんの海外留学のため一家はアメリカに渡り、6歳までを同国で過ごされた。紀子さまが小学生のころの川嶋家は、辰彦さんの研究活動のために、国内各地やオーストリアなど外国を転々とする多忙な生活を送っている。
その後一家は帰国し紀子さまは学習院女子中等科に編入。そのまま高等科、大学へと進まれた。そこに運命の出会いが待っていた。
学習院大学文学部に入学早々、紀子さまが大学構内の書店で出会われたのが、当時法学部の2年生でいらした秋篠宮さまだった。
出会いから時を隔てずに、秋篠宮さまが東宮御所にお招きになると、すぐに紀子さまは上皇さまや美智子さまとも打ち解けられた。上皇ご夫妻は紀子さまを「キコちゃん」と親しく呼ばれていたという。
そして、1986年6月。大学近くの交差点の信号待ちのさなか、ふと振り向かれた秋篠宮さまから「私と一緒になってくれませんか」と告げられた紀子さま。突然のことに驚かれ、「少し考えさせてください」とお言葉を返された。初々しいやりとり─このプロポーズの逸話は、のちにすっかり有名になった。
お二人のご結婚は、1989年9月12日に開かれた皇室会議で正式に決定。学習院大の教員住宅から皇室に嫁ぐ紀子さまは「3LDKのプリンセス」とも呼ばれ、平成改元後初めてとなる皇室の慶事に、日本中が沸き立った。前出の江森さんはこう述懐する。
「皇室会議後の記者会見で秋篠宮さまは、紀子さまの魅力について次のように語っています。『話をしていて楽しい人。また、どことなく愛嬌があるというか……』『付け加えると、非常に話題が豊富な方じゃないかと思っております』。
紀子さまの好奇心旺盛な性格に加えて、外国でのいろいろな国の人たちとの交流や人に対する深い思いやり、話題の豊富さ、こうしたところに秋篠宮さまは引かれたのではないでしょうか」
1990年6月29日に執り行われた結婚の儀には、祖父の杉本さんも参列した。見違えるように美しくなった孫の十二単姿を目の当たりにして、手記にこうつづっている。
《静岡の祖父と祖母の前ではいつもお転婆ではしゃぎまわっていたあなたが、こんなにも立派になって礼宮さまのもとに嫁いでいくなんて、まるで夢のようなことです》
こうして、愛くるしい笑顔の「キコちゃん」は、皇室の一員「紀子さま」になられたのだ。