変わる原宿の街並み。その昔、キャットストリートは渋谷川というドブ川だったし、東郷神社の近辺はザリガニが取れる“遊び場”で、近くの幼稚園に通っていた隆広さんもよく遊んでいたという。 「栄楽」のお客さんも時代とともに変わってきた。一番古い常連さんは、キディランドの店員さんたち。「栄楽」が創業した時にはすでに、キディランドは人気のお店として繁盛していたという(昭和25年オープン)。それから現在は移転したメトロ交通というタクシー会社の人たちも、よくお店に訪れた。現在の表参道交差点、GAPのビルがある場所にはセントラルアパートという高級マンションのはしりのようなビルがあり(昭和34年~平成8年)糸井重里など最先端のクリエイターたちが集っていた。原宿は次第に流行の発信地、おしゃれなファッションの街へと化けていく。セントラルアパートにも「栄楽」のお客さんはいて、よく出前に行っていたという。 昭和53年(1978年)にはラフォーレ原宿がオープン、ファッションの聖地となった原宿。バブル経済で首都圏の地価が高騰した80年代後半、バブルがはじけた後の90年代の不景気。常に華やかに咲き誇りながらも、テナント自体は流行とともに生まれては消える原宿の街並み。そんな街に大きな変化が起きていた。 「小さなお店はともかく、大きな会社のビルが移転しだしたの。土地代が上がって、景気が悪くなったもんだから。今さっき来てたお客さんもレコード会社の人で、昔、近所にビルがあったんだけど、青山の方に移っちゃってね。それでも今でも来てくださるのは、うれしいですけどね…」