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(写真・神奈川新聞社)

戦後71年。大きな節目を過ぎても戦争を忘れないで-。原爆被害者でつくる「川崎市折鶴の会」の会長、森政忠雄さん(82)は14日、麻生市民交流館やまゆり(川崎市麻生区)で市民ら約70人を前に広島での被爆体験を語った。伝えたのは原爆の恐ろしさだけではない。日本が他国を侵略してきた歴史を踏まえ、「人を憎まず、戦争を憎もう。そして二度と戦争をしないための道を考えてほしい」と子どもたちに語り掛けた。

 

「なぜ原爆を落としたのですか」。講演した際に中学生らから必ず聞かれたという森政さんは、語り部を始めて4年目ごろから戦争のいきさつも含め伝えるようになった。「悲惨な場面から話すと、恨みつらみの気持ちだけが強く残ってしまう。原爆投下の原因は戦争。子どもたちには歴史の多面性を学んでほしい」

 

だから前半は、戦争の経緯を説明する。日本が大国に近づこうと資源を求めアジアの国々を侵略したこと。宣戦布告せずに米国の真珠湾を攻撃したこと。「宣戦布告をしないということは、こっそり戦争を仕掛けたということ。ここは覚えておいて」。当時の軍事教育や食糧配給の様子なども、写真を使い分かりやすい言葉で解説する。

 

原爆投下時は11歳。広島の爆心地から3・7キロ離れた国民学校にいた。「光が見え、たった30メートル先の防空ごうに逃げるまでの間に爆風で飛んできたガラスが頭に刺さった」。家の前の病院には多くの人が逃れてきたが、薬が不足して治療が受けられない。「水を求める声があちこちから聞こえたが、当時は水を飲むと早く死ぬと教えられていた。今考えると、なぜ水をあげられなかったのか」。71年たった今も後悔は消えない。

 

それでも、戦争相手国に対する憎しみは「まったくない」と言い切る。5月にオバマ米大統領が広島を訪問したことに触れ、「被爆者として心からの敬意とお礼を申し上げたい。訪問をきっかけに、核廃絶に向けた運動をさらに進めてほしい」と願いを込めた。

 

講演を聞いた小学6年生の児童(11)=藤沢市=の胸にも、森政さんの言葉は強く響いた。「今の自分と同じ年齢でいろいろなことを経験し、考えていたんだなと思った。学校でも早く戦争について学びたい」

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