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(写真・神奈川新聞社)

 

米海軍・上瀬谷通信施設(横浜市瀬谷区、旭区)の敷地で半世紀にわたって続いてきたウドの栽培が、この春で最後を迎える。施設の返還に伴う土地の暫定利用期間が終わるためだ。地元農家はブランドを守ろうと、ビニールハウスを使った別な栽培法を模索。ピンチをチャンスに変えようとしている。

 

純白でシャキッとした歯応えや香りの良さから人気を集める瀬谷のウド。市の「横浜ブランド農産物」にも認定されている。生産者の一人、高橋功さん(57)は、「常連客の注文が多く、市場に出回る量は少ない」と話す。

 

瀬谷でのウドの歴史は室(むろ)が造られた1968年に始まる。通信施設の敷地の一部を借り受けた。通信障害防止の観点からビニールハウスの建設などはできず、農機具の使用も制限つきと狭い条件のなかで、白羽の矢が立ったのが地下でも育つウドだった。地下5メートル、奥行き7メートルの横穴に、88カ所の室が掘られた。

 

旬を迎えるのは3~4月。高橋さんの父洋さん(86)は「自然の地形を利用し、栽培の手間はそれほどかからない。評判も良く、春先になると消費者との話題に上る」と愛着を語る。

 

栽培を始めた当初は48軒が生産していたが、高齢化などで現在は十数軒に減少。施設返還が決まり、暫定利用は今年6月末に終了する。国が農家に耕作地の返還を求めたためだ。

 

「残念だけど、転換点」と気持ちを切り替えた高橋さん。就農して四半世紀、ウド栽培に携わってきただけに、「ブランドを継続させたい」との思いは募る。県、市、JA、農家らが協力し、再出発の試みが始まった。

 

いくつかの案の中から採用したのは、ビニールハウス内に溝を掘り、地中に電熱線を配した上に苗を植える方法。東京都国分寺市への視察などをもとに、昨年12月には横浜市環境活動支援センター(保土ケ谷区)の温室で試験的に実施した。1月下旬に収穫調査した高橋さんは「温度管理が難しいが、うまくいけば商品化もできる」と判断した。

 

ウド室近くに新設したビニールハウスで2月下旬、苗を植えた。未知数な部分は多いが、前を向くしかない。「将来的には市内の農家も生産を始めるようになれば」とブランドの再出発に夢を描く。

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