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(写真・神奈川新聞社)

 

節分祭や植樹イベントなどで秦野市内を頻繁に訪れていた日馬富士関。本人の要請を受け、市は使わなくなった救急車2台を故郷モンゴルに寄贈するなど、市民には身近な横綱だった。

 

「日馬富士」のしこ名の名付け親、出雲大社相模分祠(ぶんし)(同市平沢)の草山清和分祠長は「ショックでした。小さい体で一生懸命相撲道を究めようとやっていた。やったことはいけないが、本人も反省して真摯(しんし)に対応していた」と話した。

 

新大関の2009年初場所で「安馬」から改名。「綱を張る」との願いも込めたしこ名通りに、12年秋場所後に横綱となった。その際交わした、5年は横綱を務めるとの約束を果たした後に、突然の引退が待ち受けていた。

 

暴行問題が発覚した後に日馬富士関と電話で話した時には「ご迷惑をお掛けしています。申し訳ありません」と言っていたという。草山分祠長は「お年寄りにも優しいし、気配りができ、礼儀を本当に大切にしていた。周囲のモンゴルの若者にもそれを伝えようと思ったのではないか」と思いやった。

 

厚木市とも縁が深かった。同市ゆかりの後援者の橋渡しがあり、市は12年に消防ポンプ車と救急車をモンゴルに寄贈した。日馬富士関はモンゴルと厚木市の仲介役を務め、贈呈式のために来市したほか、現地に車両が渡った後にも市役所を訪れ、感謝の意を伝えた。15年には市制60周年を記念した「大相撲厚木場所」が開かれ、迫力十分の取組で市民を喜ばせた。

 

小林常良市長は「『気は優しくて力持ち』を地でいくような人への配慮のできる方で、柔和な笑顔が印象に残っている」とコメント。引退について「若くして日本にやってきて地道に苦労を重ねてきた方の引退は残念ですが、ひとまずは『お疲れさまでした』とお伝えしたい」とした。

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