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(写真・琉球新報社)

【伊平屋】伊平屋村の仲里松正(まつしょう)さん(96)のカジマヤー祝いが9日、伊平屋村田名公民館で開かれた。毎日自転車に乗り、米やサトウキビ畑を見回りに行く松正さんは28年前、腎臓を患い人工透析を余儀なくされた四男の則男さん(53)=当時25歳=のために自身の腎臓を移植した。「腎臓譲ってからも全然病院行ったことないよ」と、松正さんは大勢の地域の人の前で笑顔を見せた。

 

33年前、まだ大学生だった則男さんは、血液中のタンパクが減るネフローゼ症候群と診断された。大学を休学し、2年間入院して治療を続けたが「人工透析の必要がある」と医師から説明を受けた。週3回、人工透析のため通院する中、両親が「腎臓を提供したい」と申し出た。則男さんは「親も年老いている。体に傷を付けて、弱って短命に終わるのでは…」と悩んだ。

 

しかし、両親の意志は固かった。子どもを救いたいという一心だった。当時68歳だった松正さんの腎臓は「若い人に負けない」と言われ、腎臓移植が決まった。

 

手術の日の朝、当日の風呂は止められていたが、2人は一緒に風呂に入った。則男さんは松正さんの背中を流しながら「おやじごめんね」と謝った。「お前が元気になればいい」。2人とも相手の顔を見ないまま、涙を流していた。

 

則男さんは父への恩返しとして、医療の道に進んだ。1997年には、日本臓器移植ネットワークの臓器移植コーディーネーターに沖縄で初めて選ばれた。医療機器販売の会社を立ち上げ、松正という父親の名前を会社名にした。則男さんは「おやじがいるから今の私がいる。長生きしてくれてこれ以上の喜びはない。私にできる親孝行は全てしていくつもり」と感謝の言葉を述べた。(阪口彩子)

 

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