沖縄少年院の“熱血法務教官”として少年たちに向き合ってきた武藤杜夫さん(39)=那覇市在、東京都出身=が3月末、法務省を退職し、沖縄少年院の卒業生2人と新たな挑戦を始めている。少年院を出院した少年や居場所がない子、エネルギーを「非行」で発散するしか方法を知らない子たちを受け止め、サポートするための任意団体「日本こどもみらい支援機構」を4月に設立。6月には3人で京都、大阪、兵庫での講演会を予定している。
自らも思春期に教師や大人に反抗し続け、不良行為を繰り返した武藤さん。中学時代から教室になじめず全国放浪を続け、19歳でたどり着いた沖縄で一念発起し猛勉強の末、国家公務員試験に合格。2001年に矯正職員として東京で採用され、04年に沖縄へ“帰郷”転勤してきた。
在職中から「少年院を日本一の学校にする」と少年院の存在意義を発信してきた武藤さんが退職したのは、成人対象の刑事施設に幹部として異動する内示が出たからだ。2年前、登山中に滑落事故に遭って九死に一生を得た際「残りの人生は、現場で子どもたちのために使うと決めたんです」と笑う。
「生徒たちに『挑戦しよう』と伝え続けてきた僕には挑戦する責任がある。辞職も生徒たちへの教育でした」
職を辞した直後、武藤さんは真っ先に連絡をくれた教え子の宮平魁樹さん(24)と原琢哉さん(24)と再会した。少年院の規定で法務教官は卒業生と個人的に交流することが禁じられているため、約5年ぶりの再会だった。
「3人で面白いことをしないか。少年院が駄目人間の集まりじゃないって証明しようぜ」。以前と変わらず、熱っぽく語る武藤さんに、曲折を経て今はバーの経営者となった宮平さんと、塗装業を営み7人の従業員を抱える原さんは「やります」と即答した。
宮平さんは「武藤先生ほど本気で向き合ってくれる人はいなかった。昔の僕みたいにやんちゃしている人に何か伝えることができれば」と願う。原さんは「自分の経験を話すことで、誰かが頑張れるきっかけになれば。死んだら取り返しがつかない。命の大切さを伝えたい」と語った。
具体的な活動内容は今後、3人で話し合って決めていくという。「僕にとっては何をやるかより誰とやるかが重要。彼らと一緒に、少年院の卒業生はもちろん、沖縄の子どもたちが悩んだときに立ち返れる場所をつくりたい」と武藤さん。「今後は外から少年院を日本一の学校にする。社会で輝ける卒業生を育てていくことだと思う」と力を込めた。(佐藤ひろこ)