左から、TORAUMAとDisry 画像を見る

 

年々、盛り上がりを増している沖縄ヒップホップシーン。そんな流れの中、地元を離れて沖縄へ活動拠点を移すラッパーも増えている。愛媛県出身のDisry(ディスリー)と青森県出身のTORAUMAもその一人だ。何故二人は故郷から遠く離れた沖縄に移り住んだのだろうか。そこには生まれ育った地元を背負いラップをする覚悟と葛藤。そして他にはないこの島特有のヒップホップの魅力に導かれたものだった。

 

◇聞き手 野添侑麻(琉球新報Style編集部)

 

仲間の誘いで沖縄へ

 

―お二人の自己紹介をお願いします。

 

D:「Disryと申します。愛媛県松山市出身の28歳です。17歳からラップを始めました。ラップバトルで名を上げて、今は音源制作やライブを中心とした活動をしています。沖縄には2017年9月に移住してきました」

 

Disry – 4THCoast Yella (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=0Ps2Ro8wkRg 

 

T:「青森県から来ましたTORAUMAといいます。Disryと同じ28歳です。東京で音楽活動をしていたんですが、沖縄で音楽をしたいと思い2018年10月に青森から軽自動車に乗って引っ越してきました(笑)」

 

TORAUMA – 椿II
https://www.youtube.com/watch?v=Y3B7Sc6_uOo 

 

―お二人は何故それぞれの地元を離れて、拠点を沖縄に移したのでしょうか?

 

D:「高校の頃からラップをしてきて、『これで飯を食っていきたい』って思う気持ちがあったんですが、地元でラッパーとして生計を立てている例がなかったんです。愛媛のヒップホップシーンも大きくないので、地元に住みながら音楽でお金を稼ぐのは現実的には難しいと感じ、一度外に出ることを考えていました。そんな中、MuKuRoや唾奇(つばき)、MAVELといった『604』という沖縄のヒップホップチームとの出会いがありました。何度か沖縄に遊びに来た時に俺が楽しそうにしていたのを見て、彼らが『こっちに来て一緒に音楽やろう』と声をかけてくれたのがきっかけで、移住を決意しました」

 

T:「僕は、唾奇が沖縄でやったイベントに呼んでもらったことがきっかけです。そこで沖縄ヒップホップシーンの大きさに圧倒されました。ラッパー個々のレベルがとにかく高い。前座で出ている若手でも実力があり『俺もここで音楽をやりたい』と思ったんです。そこから既に移住していたHANGというラッパーに誘ってもらい、移り住むことを決めました」

 

D:「地元にヒップホップスターがいないとシーンって大きくならないんですよ。お客さんも入らないし、後に続くラッパーも出てこない。演者だけじゃなく、カメラマンやデザイナーも含めて柱になるスターがいることで生まれるものが多いんです。そうやって大きくしていかないと、地元に住みながら音楽でお金を稼ぐことも難しくなる。だったら自分がその役を担うために、一度外に出て成長しようという思いで移住を決意しました。そこが俺たち二人の考えの一致している点だと思います。そして行くなら成長できる場所がいいと思い、全国でも屈指のシーンがある沖縄への移住を決めたっていう経緯です」

 

「人間くささ」があるウチナーンチュのラップ

 

―沖縄と地元の音楽シーンの違いについて教えてください。

 

D:「地元との違いは、まずクラブの数が圧倒的に違う。地元には1つか2つしかないんですが、那覇市内だけでもサウンドバーやクラブ、ライブハウスが沢山ある。平日営業もしていて、現場の盛り上がりが違いますね」

 

T:「お客さんの数は多いですね。平日でもたくさん入って賑わっている。制作面でも、映像クリエイターやデザイナーも多いので助かっています。本当に音楽がやりやすい環境!」

 

D:「地元での生活は平日働いて空いた時間で音楽を作り、赤字前提でイベントをやるといった趣味に近い楽しみ方になってしまっていました。でも沖縄は実際に音楽で生活している手本となる人達が身近にいるので、より本気で取り組めるようになりました。音楽に対してハングリー精神を持っている人が多いですね。その意識や活動範囲の幅広さが違いとしてあると思います」

 

―沖縄に住んだことで、自分の音楽面に何か影響を受けましたか?

 

D:「僕のスタイルはラップバトルを基礎としてきたのもあって、熱量を込めた力の入ったラップだったんですけど、沖縄のラッパーは肩に力を入れず、日々の生活を自然体で歌うような、自分の正反対のスタイルの人が多かった。移住してきて彼らと触れ合う中で、自分もそういったことを自然と歌えるようになりました。沖縄独特の空気感が自分の新しい引き出しを作った感じはあります」

 

D:「また沖縄のラッパーは他と格好の付け方が違うなと感じました。何より自然体で、自分の弱い部分も含めて等身大にラップをしている人間らしさがある。愛媛にいた頃の俺は硬派なスタイルで、弱さや素をさらけ出すのはナンセンスだと思っていた。この違いが今、沖縄のヒップホップが共感を生んでいる部分なのかもしれません。ウチナーグチはラップにもマッチするし、そこも地元からも支持を得ている理由かなと。自分たちが日常で使う言葉でカッコよくラップしている訳ですから、そりゃあ聴き手としては嬉しいですよね」

 

T:「僕のラップスタイルは生活の中で生まれる葛藤などを歌ってきたんですが、移住してきて沖縄の人たちの価値観、特に困った時は助け合う文化に触れたことで、より深みを込めたラップが出来るようになったと思います」

 

D:「TORAUMAの音楽性は、沖縄のラッパーたちに近いものがあったから、音楽的な面でもいち早く馴染めたよね。沖縄に来た事で俺は全く違う方向性のラップが出来るようになったし、彼は既に持っているものをより磨くことができたと思います」

 

―沖縄の生活にはもう慣れましたか?

 

D:「最初はうちなータイムには戸惑いましたね(笑)。住んで良かったことは、沖縄の人達の仕事に対するおおらかな考え方が、自分の求めるライフスタイルとマッチしていたこと。地元では正社員として勤めていて、空いた時間で音楽をしていたんですが、今は仕事する日を週に3~4日、残りの時間を音楽に充てています。正社員時代と比べて使えるお金は減ったけど、当時は音楽に使える時間が少なかった。今はその逆で音楽に時間を投資出来ているので満足しています」

 

T:「職場内でも、沖縄は人間関係を大切にしていると感じました。職場で体調悪そうな人がいたら、『もう今日は帰って休みな~』と優しく対応してくれたり。人間関係に血が通っている分、ラフになりすぎるところもあるけど、その分人に対して愛があるなと思います。観光客にも優しいですよね。飲み屋でも『観光で来ましたー!』って言うと、手厚くもてなしてくれたのを覚えています。でも『移住してきました!』というと、ちょっと厳しくなる(笑)。『住んで三カ月?まだまだこれからだな!』みたいな(笑)」

 

―住んでみて沖縄の抱える問題について感じたことはありますか。

 

D:「他県に比べて母子家庭の数も多かったり、目の当たりにした沖縄の抱える貧困事情には驚きました。沖縄のラッパーでも、生まれ育った家庭の事情など深い悩みを抱える人は多いなと感じています。でも彼らは、そういった社会的な弱者が抱える闇も含めてラップという強みに変えて表現している。そういった点も沖縄のヒップホップが人を惹きつける魅力の一つなのかもしれませんね」

 

T:「外から来た人が身内を荒らす、ということを恐れている人もいるのかなって思います。実際に県外企業とかに環境資源なども含めて荒らされていますしね。そういう気持ちになるのは当然だよな、とも思います。今までの彼らの生活を奪いかねないわけですから」

 

D:「綺麗な海で観光客がゴミをポイ捨てしたりとかね。地元の人達のそういった恐れる気持ちは凄くわかる」

 

―離れて気づいた地元の良し悪しってありますか?

 

D:「愛媛県は観光地として潤っていないんだなと痛感しました。沖縄の音楽が盛り上がっている理由の一つとして、『観光地』というのがあると思うんです。観光客向けのクラブなどが沢山あり、そこで地元のアーティストはライブを重ねて磨かれていく。そして全国区のアーティストをイベントのゲストで呼べるという強さも沖縄にはあります。観光も兼ねて二つ返事で来てくれるアーティストが多いんですよね。彼らとライブしたり、オフに遊んだりする中で勉強になることや影響を受ける部分は沢山あります。地方だとそういった全国区の人が来るチャンスは少ないんで。また、俺は地元がこんなに好きだったのかということにも離れてみてようやく気づけました。たまに帰りたいって思う時もあるんですが、そんな時は感情を歌詞に変えて音楽に落とし込むようにしています」

 

T:「僕は鍋料理は寒くないと美味しくないということに気づきました!(笑)。寒さが必要なご飯もあるんですね(笑)」

 

地元の仲間に背中を見せるために

 

―ヒップホップって地元を大切にする文化があるじゃないですか。そこで地元を離れて音楽をすることに対して怖さはありませんでしたか?

 

D:「もちろん怖さはありましたよ。でも、移住を決めた理由の一つとして『地元の音楽仲間たちのケツを叩く』という意味もあったんです。自分が県外で活躍する姿を見て、地元にいる仲間にはより危機感を持ちながら、各々の活動に力を入れてほしいっていう思いがありました。離れても地元のことを発信出来るという姿を見せることも仲間への見せたかった姿の一つ。安定した生活や地元で築いてきた音楽キャリアを捨てて、見知らぬ土地でゼロからのスタートを切るというのは怖さが大きかったですが、でもその分そういった姿を仲間に見せながら自ら窮地に立ち、成長することも必要だと思ったんです」

 

T:「生まれ育った故郷を離れるのは不安もありましたが、僕自身が沖縄で力を付けて売れることによって青森のヒップホップシーンにも還元できると思うし、ヒップホップシーンの盛り上げ方を学ぶためにも沖縄にきたので、楽しさやワクワクした気持ちの方が勝っています!やっぱりラップスターがいないと、地元は盛り上がらないし受け入れてもらえないと思うので、そのための修行です。Disryの言う通り、離れていても地元のことを発信出来ると感じています」

 

―沖縄に移住してきて、成長したと感じますか?

 

D:「自分ではなかなか成長したかどうか分からないけど、周りの反応や自分の音楽への向き合い方の変化を見ると少しずつだけど良くなっていると感じます。沖縄にはレベルの高いラッパーがゴロゴロいるので、実力の差を感じて食らっちゃう事も多々ありますが、愛媛にいるときはずっと自分がトップを走っているつもりだったのでそういう気持ちにもならなかった」

 

T:「僕らの地元ってラッパーの数も少ないので、すぐにトップを張れた。でも、ライバルが沢山いる沖縄では、いろんな思いを感じながら良い経験をさせてもらっています。沖縄にきてから、特にライブ力が上がったと思います。今まで大きなステージで歌う経験が全くなかったんですが、こっちに来てからは大規模なフェスのステージも踏めて、貴重な経験を沢山させてもらっています」

 

D:「沖縄はイベントの数が多いから、その分ライブの経験値を得ることができる。自分も同じくライブ力は上がったと思います。県外にゲストとして呼ばれる回数も増えました。沖縄に来て活動することで、自分の名前も少しずつ全国に広がっていると思います」

 

ゆるく、そして力強く

 

―お二人が感じる沖縄のヒップホップシーンの魅力について教えてください。

 

T:「今、全国的に流行っている『Lo-fi HIPHOP』っていうゆるめなビートを主とするラップに火をつけたのは沖縄じゃないかなぁ。2017年に唾奇とSweet Williamの共作『Jusmine』を出した頃からLo-fiが広がっていったのを覚えています。島ならではのゆるさと沖縄のラッパーの空気感が相まって、そのブームの一翼を担ったんじゃないかな」

 

D:「今までLo-fiが主流になるってなかったもんね。唾奇のラップスタイルは新しかった。民謡やポップスを始め、ウチナーンチュの先輩たちが生み出した音楽が日常的に愛されて強く根付いている中で、こうやって沖縄のヒップホップが台頭した事も沖縄音楽史の新しい1ページのように感じて魅力的に思います。 だからか、県外出身の自分の音楽がお客さんに選ばれていない、プッシュされていないと感じる瞬間もあります。そんな時にはもっと根を張って良い作品を作り、聴かせてやろうと燃えますね」

 

T:「沖縄のお客さんって耳が肥えている人が多いよね。自分が選ばれてない瞬間って、めっちゃわかる。自分なりに良いライブしたと思っても、全く反応がないときもあるし…。若いお客さんも、ちゃんと質の良し悪しで判断して聴いている人が多いイメージです。リスナーのレベルも高いから、必然的に演者のレベルも上がる。それが沖縄のヒップホップの魅力に繋がっているんだと思います。やっぱりライブでも沖縄のラッパーの出番が一番盛り上がる。悔しいけど、地元ならそうあるべきだとも思いますね」

 

T:「地方に住みながら、全国流通でCDを出せるようなラッパーって1人、もしくは2人いればいい方だと思うんですけど、沖縄っていったい何人いるんだよって思います(笑)。この棚に並んでいるのって、ほとんど沖縄のラッパーですからね。沖縄で下手って言われているラッパーでも、県外と比べると全然上手い!それだけベテランから若手までレベルが高いということ。地元に憧れのラッパーがいて、そういうお手本を見てきているから、そりゃ若手もカッコよくなる。地元にラップスターがいるということは、それだけ大きなことなんですよね。シーン全体が大きくなる。僕らが目指す理想像です」

 

D:「他県からは、単純に楽しそうって見えていると思います。SNS上でもそれは感じます。例えばインスタの投稿でも、地方のラッパーの投稿は平日だと日常の風景、週末に近づくとイベントの様子があがって、また平日になると日常の風景に戻る、といった感じなんですが、沖縄のラッパーたちのSNSは毎日イベントや制作の様子があがっています。あとは、デザイナーや映像クリエイターも沢山いて、彼らも常にアンテナを張りながらスキルアップに努めているし、共作する時もフットワーク軽めに動いてくれる。そこも含めてヒップホップの文化が根付いてところが魅力的なのかもしれないですね」

 

D:「文化が根付いているからこそ、『お金を頂く』ということに対しての意識の差も生まれていると感じます。ラッパーだけじゃなく、他のクリエイターも本気で活動に向き合っているので、『友達だから無料で良いよ』と片づけることなく、自分の仕事に対して価値を下げない。そういった意識の積み重ねも全体の成長に繋がっていると思います。一見普通のことなんですが、アマチュアだとどうしてもお金をもらうことに抵抗が生まれることもあります。でも、実はそこが成長を妨げる要因だったりする。誰しもが素人からのスタートなので、お金を頂けるところまで引き上げるのは難しいことですが、叩き上げて活動していくなかでお金を出し合い全体的にプロ意識が身についていっているのも事実です」

 

沖縄のリアルを発信するラッパーが注目されるワケ 「604」首謀者のMAVEL×MuKuRoに聞く
https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-674419.html 

 

地元のシーンを盛り上げるために

 

―今後もずっと沖縄に住む予定でしょうか。今後の目標も含めてお聞かせください。

 

D:「しばらくは沖縄にいたいと考えています。目標は愛媛のシーンを大きくすることなのでいつか帰るかもしれませんが、それはもっと力を付けてから。また愛媛では自分のアパレルショップを持ちたいという夢があります。沖縄に来てからアパレルも始めました。ヒップホップをやっていて思うのは、音楽だけで食えるようになることに越したことはないんですが、ラップ以外の選択肢を持つことも大事なのではと考えるようになりました。例えばスタジオを経営して若い子たちの活動をサポートしたり、ショップを持つことで気軽に音楽を発信できる場所を作るなど。沖縄は他県に比べてそういった環境も多いんですよ」

 

D:「なので、地元に戻ったら、店を構えてヒップホップの発信拠点を作りたいと思っています。僕の師匠であるDJ SHUNも今年から松山市内でクラブの経営に携わることになったので、地元のヒップホップシーンが大きく動いていくと思います。この動きに合わせて僕もラップはもちろんアパレルなどでも様々な面で加勢できたらと考えています。2年前に『4THCOAST YELLA』という楽曲を発表してから、四国全体の動きが活発化して県外にも認知されるようになってきました。沖縄で学ばせていただいた様々な経験、ノウハウは必ず地元にも還元したいと思っています」

 

T:「僕は今、THUGWAY(サグウェイ)っていうフードショップをやっています。今はまだイベントでの移動販売のみなんですが、店舗を出すのが目標です!同い年で国際通り近辺で飲食店をやっている仲間も多いので、一緒にコラボしたり切磋琢磨していきたいですね!」

 

D:「TORAUMAは調理師免許も持っていますからね。彼の作る飯はめちゃくちゃ美味いんですよ」

 

T:「604のメンバーって、ラップ以外にも他に何かやっている人が多いんですよ。バー経営している人や、レコーディングのスキルがある人など。ラップ一つにこだわっているわけではなく、ラップをしながら生活の幅を広げている人が多いです」

 

―この記事見て、沖縄への移住を決めるラッパーもいると思います。そんな彼らに向けて移住者の先輩として、アドバイスをいただけますか?

 

T:「『盛り上がりに乗っかってやろう!』って気持ちで来た人は、すぐに地元のリスナーたちに見抜かれます。だけど、沖縄の人に認められたらしっかりサポートしてくれるし、仲間としても認めてくれる。沖縄で出来た仲間たちは人としての距離も近く、音楽仲間を超えて家族や兄弟っていう意味合いに近いと感じています」

 

D:「僕らの他にも、沖縄へ行きたいと思っている県外のラッパーは多くいると思いますが、憧れだけでは思うような結果は得られないのではないでしょうか。移住したくなる気持ちは自分もそうでしたので当然わかりますが、自分の音楽の柱がないと、沖縄のリスナーに対して響かないと思います。なので、まずは地元で全てやり尽くす事が重要だと考えます。沖縄は激戦区だから、実力のないラッパーはすぐに飲まれていく。移住者という立場で音楽をやるということは、当然他より厳しい目で見られる環境に飛び込むこと。そこで闘うための武器って『地元でどれだけ腕を上げてきたか』っていう部分だと思うんです。自分は愛媛と沖縄、2つの土地への尊敬と感謝を常に忘れず活動を心がけています」

 

T:「自分のラップがブレている人は間違いなく認められません。なので、しっかりと自分のラップスタイルを確立すること!あとDisryの言うように沖縄の人達に対するリスペクトの気持ちを忘れずに。人柄の良い県民性だからこそ、感謝の気持ちや地元の人達からもらった優しさを少しずつでも返していくことが大切だと思います。愛を貰ったら愛で返しましょう!」

 

Disry:1991年生まれ、愛媛県松山市溝辺町出身のMC。2011年に地元のヒップホップPARTY「JUICE」にレギュラー出演スタートし、地元でキャリアを積み続ける。UMB 2014,2016,2017の愛媛予選王者、UMB春選抜 2016,2017の四国代表。2017年に沖縄に移住しMAVEL、MuKuRoらが率いる604クルーに合流。その後も変わらぬ強い地元志向を掲げ、”4THCOAST=四国 “の結束を歌った「4THCOAST YELLA」を発表するなど、沖縄から地元および四国へのアンセムを生むとともに全国へ活動のフィールドを拡げている。
Twitter::https://twitter.com/Disry 
Instagram::https://www.instagram.com/disry_4thcoast/ 
4th Coast Wear HP:https://disry.thebase.in/ 

 

TORAUMA:お前do思っているか知らないけど俺はyou 日常から溢れた悲しみが爆誕!!! 青森が産んだ妖精 1991年青森十和田湖生まれ。
様々な荒波に自ら飛び込むスタイルで関東で音楽を活動。 身内に動画を荒らされる。25才の時青森に2年間帰り沖縄に軽自動車で引っ越して来る。604に合流後ファイナルウェポンカンパニーに入社、パフェ課に所属。
自宅のイルミネーションが地元で話題になり新聞に掲載される。持ち前の跳躍力を活かし低めのビルなら飛び越えられる。数々の人並み離れたエピソードを持つ産まれながらにして神に愛されたトラウマの音楽に更に期待が高まるところである。
Twitter:https://twitter.com/torauma1991 
Instagram:https://www.instagram.com/torauma91/ 

 

撮影協力:NEWFUNK STORE
(Twitter:https://twitter.com/CRACKLIMB

 

聞き手・野添侑麻(のぞえ・ゆうま)

 

2019年琉球新報社入社。音楽とJリーグと別府温泉を愛する。18歳から県外でロックフェス企画制作を始め、今は沖縄にて音楽と関わる日々。大好きなカルチャーを作る人たちを発信できるきっかけになれるよう日々模索中。

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