米軍の1980年普天間飛行場マスタープランで、66年の名護市辺野古の海兵隊基地建設計画を紹介し「建設費が高く実現できない」と記している箇所 画像を見る

1966年に存在した名護市辺野古の米海兵隊飛行場建設計画が、80年に米軍が作成した資料でも登場し、「高い建設費のため、実現できない」と明記されていることが10日までに分かった。米軍が60年代から描いて費用面で断念していた辺野古基地建設計画は、日本政府の出資を当てに現在の新基地建設計画として復活したことになる。今月12日で、96年の普天間飛行場全面返還合意から25年が経過するが、辺野古新基地完成を条件にしているため実現していない。

 

66年に策定された計画を見送った背景には、ベトナム戦争に伴う米国の財政赤字があることが指摘されてきた。80年資料の表記は費用を理由にしており、合致する。建築家の真喜志好一氏が独自に入手し、本紙に提供した。

 

80年の米軍資料は普天間飛行場のマスタープラン(総合計画)で、同飛行場の課題を整理して将来を構想している。安全や騒音防止のために本来確保されるべき区域が、飛行場の境界を超えて広がっていることも指摘。地元との摩擦を懸念している。飛行場の維持を前提とした改善案を検討する一方、代替地として嘉手納基地への統合案と辺野古での基地建設案を紹介している。

 

辺野古基地建設案について「全天候型でジェット機の運用可能な飛行場として、辺野古地域とキャンプ・シュワブのそばの海域に1万フィート(約3千メートル)の滑走路2本を建設する計画」と説明。一方で、1億1千万ドル以上かかるとし「建設費が高いため、実現できない」と指摘している。

 

また、92年に作成された普天間飛行場のマスタープランでは、辺野古に限定していないものの、日本政府の支出による代替施設建設に言及している。普天間返還合意の4年前に、日本政府に支出させて普天間飛行場の代替施設を造る発想を既に持っていたことが分かる。

 

日本政府は現在、普天間飛行場の危険性除去を名目に辺野古新基地建設を進めている。費用は政府試算で9300億円に上る。 (明真南斗)

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