海をバックに三線を手に持つ松原忠之さん。23日にリリースされたデビューアルバムでは美しい旋律にのせて力強い声を響かせている 写真・村山望 画像を見る

師匠の教えを胸に精進

 

宮古島の民謡を集めたアルバムがリリースされた。歌っているのは松原忠之さん(28歳)。5月4日に亡くなった宮古民謡の第一人者・国吉源次さんから教えを受け、将来を期待されている一人だ。仕事の都合で宮古民謡から一時離れたが、27歳の時にライブ活動を開始。師匠から学んだ宮古民謡を広めたいという思いを胸に、まい進している。

 

アルバム「清ら海、美ら島~あやぐ、宮古のうた~」で6月23日にデビューした松原忠之さん。宮古民謡界の重鎮、国吉源次さんから後継者として期待されていた新人だ。アルバムでは三線や笛、島太鼓にのせて力強い歌唱力を披露している。生まれは浦添市だが、母親は中学卒業まで宮古島育ちで、父方の祖父母も宮古出身。子どもの頃、長い休みは宮古で過ごすなど、関わりも深かった。

 

その影響で、8歳の頃から宮古民謡を始めたという松原さん。「従姉が三線を習っていて、興味を持ったのがきっかけ。伯父に基礎を習った後、連れて行ってもらったところが(国吉)源次先生の民謡研究所だった」と振り返る。

 

師匠の国吉源次さんは、宮古島から沖縄本島に拠点を移し、民謡歌手として活動。戦後、宮古民謡のレコードを個人として初めて発売したり、宮古民謡保存会を発足したりするなど、宮古民謡の普及に貢献してきた人だ。稽古では、歌には厳しかったが、最年少の弟子・松原さんは孫のようにかわいがられ、孫と間違われても「僕の孫です」と言っていたそうだ。

 

「弟子」であり「ファン」

 

頭の中は宮古民謡のことでいっぱいの少年だった松原さん。周りの友人がはやりのJポップなどを聞く中、「源次先生のように歌いたくて、先生のCDばかりずっと聞いていた」という。

 

「最初、先生は私の歌が下手くそで悩んでいたらしい」と後々知ったというが、宮古民謡保存会主催の宮古民謡コンクールの新人賞の課題曲を手取り足取り教わると、上達を遂げていく。入門1年後には新人賞、2年、3年後にはそれぞれ優秀賞、最高賞を受賞。中学3年で教師の免許取得も果たした。

 

中学卒業後からは家業のとび職を手伝いながら稽古にも励んだ。20歳になると仕事も忙しくなり、一時稽古やステージでの演奏からも離れていた。

 

転機は約2年前、27歳の時。仕事も落ち着き、国吉さんもだんだん活動ができなくなっていった頃だ。「あれだけ真剣に教えてもらったことを、自分の趣味で終わらせたらいけないと思った」。松原さんはライブ活動を精力的に始めた。

 

そんな松原さんの写真をフェイスブックで偶然見つけたのがアルバムのプロデューサーで島唄解説人の小浜司さん。松原さんのことを約15年前から知る人だ。当時小浜さんが経営するライブカフェに国吉さんを招いた際、一緒に出演した様子も覚えている。「何を弾かせてもうまかった。彼はお客さんを気にせず、源次さんだけを見て演奏していた」と話す。松原さんの歌が聞きたくなった小浜さんは2020年11月にライブを企画した。そこで聞いた歌は「若い時の国吉源次の節回しと一緒だった」と評する。感動した小浜さんはレコード会社に連絡し、2月末にはレコーディングが実現した。

 

後進の指導にも意欲

 

宮古民謡のエッセンスが詰まったアルバムには、国吉さんが一度は歌いきってみたいと言っていた歌「伊良部トーガニー」や人頭税廃止について歌われた「漲水(ぴゃるみず)ぬクイチャー」など宮古民謡を代表する曲が詰まっている。国吉さんが自身の初恋を詞にのせた「新可愛者小(しんかぬしゃがま)よ」では、国吉さんの妻、義子さんとのデュエットも果たした。

 

「源次さんを本当に受け継いでいるのは彼で、もっともっと発展できると思っている」という小浜さん。宮古民謡の担い手が少ない中、「救世主」と期待する。

 

「宮古民謡をやりたいという人が増えてほしい。今後は自分も学びながら、教えることもしていけたら」と話す。宮古民謡の心は引き継がれていく。

 

「清ら海、美ら島~あやぐ、宮古のうた~」
3,080円(税込み)
発売元:リスペクトレコード 16曲収録
http://www.respect-record.co.jp/discs/res335.html

 

(坂本永通子)

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