では、里谷さんにとって、21歳での金メダル獲得とは、何だったのだろうか?

 

「……『金メダル』はですね、周りの景色が一変したのは確かです。一変しているのに、なんか自分だけが変わっていなくて、それについて行っていなかったんですね。競技以外に割かれることで忙しくなりすぎて、取材への対応も含めて、おざなりにしてしまっていたかもしれない。それはよく、母がいさめてくれていたんですが、そのころの自分は気づきませんでしたね」

 

それは、弱冠21歳という年齢を考えれば無理もないことだったかもしれない。

 

「でもいまは、ビジネスとして取材のオファーや、マネジメントをする立場でもありますので、よくわかるようになりました」

 

長野オリンピック後、’02年のソルトレークオリンピックでも、銅メダルを獲得している。

 

里谷さんがオリンピックでメダル獲得をしたのは20代までで、30代に入ってからは、故障などもあり、苦戦が多くなった。

 

「ただ、年を取って、《無理なことがある》ことがわかってくると、逆に休む間もなく練習している自分がいたんですね。そのとき《辛いけれど楽しい。ここからまだ、私は成長できる!》と思ったんです。それが、10年のバンクーバーオリンピックを目ざしていたころです。《若い人に負けたくない、30過ぎてもできる。それを結果で示そう!》と」

 

肉体的なパフォーマンスが落ち始めたとき、選手はそれを、技術や経験則、そして培ったメンタル・タフネス(ストレスや環境に動じない精神的強さ)で補っていく。里谷さんもまさに、数々の大舞台の経験から、何事にも動じない強いメンタリティを獲得していたのだ。

 

「そうですね。若いころは、とにかく『頑張ればできる』と思っていたけれど、そのころには、『頑張ってもできないこともある』ことがわかった。体力ひとつ取ってもそうです。それをなにでカバーしていくか、あきらめるのか、まだ食らいつくのか、というのは、その時点で初めてできるチャレンジでした。それが私の、金メダル後のキャリアで獲得できたことです。『できないことがある』ことを現役時代に知ることができて、よかったと思うんです。選手成績は、往々にして最後は悪くなって終わるけれど、すごく辛いことがあっても、それも終わりがあるんです。そしていま、私はどうにか幸せに生きている。終わりがどんな形でも、その後の人生は続いていくんだということです」

 

(取材・文:鈴木利宗)

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