コロナで「仙女」収入8割減 代表・里村明衣子が復活させた矜持

「3月14日、アメリカで国家非常事態宣言が出されたときは血の気が引く思いでした。これは日本もヤバくなると直感しました」

 

仙台を拠点とする『センダイガールズプロレスリング』(=通称『仙女』、以下同)の代表を務める里村明衣子(40・以下、選手は敬称略)はこう語る。

 

「思い出したのは3.11。あの日、私は仙台駅前のジムでウエイト・トレーニングをしていました。市内にあった仙女の事務所に行こうとしたら、車で5分のところが1時間もかかって。その車中で津波がくると知りました」

 

震災後、幸い所属選手はスタッフも含め、全員無事。しかし、甚大な被害を受けた仙台市が拠点の仙女は、震災後の運営が白紙状態になった。

 

当時の社長だった、みちのくプロレスの新崎人生(53)から、

 

「団体を存続することは難しい」

 

と、告げられたとき、仙女の1選手にすぎなかった里村は、思わずこう言って手を挙げた。

 

「私がやります!」

 

社長を継ぎ、仙女の再出発を図ったが、所属選手は次々に引退、退団していった。7人いたレスラーは、里村とDASH・チサコ(31)の2人だけになってしまう。

 

「このときがいちばんキツかった。正直、もうやめてやるという気持ちにもなりましたね」

 

震災後、しばらく宮城では興行ができないため、選手を2カ月間、実家に帰したが、それが“家族の崩壊”に繋がった。

 

「それぞれが生計のためにアルバイトなどをするうちに、意識がバラバラになってしまったんです。仙台に戻ってきても、皆で集まる道場がない。公園で練習し、試合もないので、レスラーという意識も薄まってしまった。『団体は家族だ』と、言っていたのに、試合がなければ、離れていくんです」

 

それでも彼女は踏ん張った。

 

「15歳でこの世界に入り、長与(千種・55)さんの付き人として7年間、雑用、カバン持ち、洗濯……。2日間ぶっ通しの徹夜、寝ないで練習なんて何度もありました。仙女がバラバラになったとき、私は自分に問い質したんです。『今、付き人時代のそれをイチから全部やり直せるか?』と」

 

内から答えが返ってきた。

 

《気力はあるぞ》
《まだ33歳。まだ無理できる》

 

営業、経理、マッチメイク、交通・宿泊の手配から、チケットの販売委託、問い合わせへの対応などの雑用まで、すべてに精力を注いでいった。

 

「待っていたら、何もできない。自分で足を運ばなければ、何も動かない。一人で何役もするのは、最初はミジメに思えたけれど、やるしかなかった」

 

唯一、仙女に残ったチサコもフロント業務を積極的に手伝ってくれるようになった。積極的に新人獲得にも動き、中学生プロレスラーの愛海(15)をデビューさせると、仙女は再び活気を取り戻した。15年には、男子のタッグマッチに仙女がエントリーされ、海外からも注目される存在になった。昨年度は英国マンチェスターで、仙女主催の興行を開催。気がつけば、大震災の年の4倍、過去最高の売り上げを記録していた。

 

経営は右肩上がり、万事順調。そう思った矢先の新型コロナ拡大だった。今年度は一転、仙女はいま、過去最大の経営危機にある。

 

そんな中、里村が経営者としていち早く下した決断は選手全員で農業をすることだった。

 

里村が、スポンサー企業の農機具販売会社『五十嵐商会』に協力を仰ぎ、5軒の農家での作業の契約を結んだのは、今年3月。日本で緊急事態宣言が出るより1カ月近くも早い時期だ。

 

「東日本大震災後のことが蘇って。だから、今回は絶対、バラバラにさせてはいけない。そのためにいちばん良いのは何だろうと考えて」

 

コロナ自粛で、仙女の収益はすでに昨年比80%減。「でも、それがなんだ!」の里村の心意気は、強烈に響いていた。

 

「現在のコンディションなら、現役でまだまだ続けられます。それに、1レスラーのとしてだけではなく、経営者としてやってみたいことも、たくさんあるんです」

 

と、目を輝かせた。

 

今後を見据えれば、試合だけでなく、サイドビジネスにも力を入れたい。夢は広がる一方だ。

 

8月2日、常打ちの仙台大会から、いよいよ仙女の主催興行が始まる! 7月22日には選手全員、PCR検査を受けた。112枚のプラチナチケットはすでに完売。

 

「コロナに負けるな!生き残れ!」

 

ここから仙女の反撃が始まる!

 

「女性自身」2020年8月11日号 掲載

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