「どうも。よろしく」
想像よりも、ずいぶん柔和な声がした。その主を見上げると、鴨居に届きそうな高身長の紳士が、踏みしめるよう一足ずつ歩を進めてきた。
ガッシリした上半身を薄紫のシャツで包み、首には象徴的な深紅のストール。“燃える闘魂”アントニオ猪木さん(77)が、目の前のソファに、どっかりと腰を下ろして話し出す。
「朝起きるとね、若いころには“いの一番”で水風呂を浴びていたのが、今朝も風呂か、仏様に手を合わせようか、と迷っているうちに20~30分も経ってしまう。元気が売りでやってきた猪木が、最近では、元気を掻き立てなければいけない状態なんです」
元プロレスラーで元参議院議員、言わずと知れた国民的ヒーローがいま、未知の強敵と対峙していた。
「ここ数年、息苦しさを感じるようになり、階段の上り下りに息切れするようになりました。昨秋に検査し、『100万人に数人』の難病であることが判ったんです」
アミロイドという物質が心臓の心筋細胞間質に溜まり、心機能が落ちて十分な血液を全身に送ることが難しくなる「心アミロイドーシス」という耳慣れない疾患。重症化すれば呼吸困難を引き起こしたり、発症10年ほどで死に至ることも少なくないのだという。さしもの猪木さんとて、元気を失ったとしても仕方なかろう……と思いきや、目の前では威勢のいい言葉が発せられる。
「自分の死とどう向き合うのかが大切であって、それには、生きる希望、目標というものを大小関係なく持てるかどうか。年を取ろうが、体が弱くなろうが、己を燃えさせて生きる、そんな“生き様”を届けたいと思うんです」
未曽有の事態となったこのコロナ禍において、猪木さんはスポーツ界の先達として、あえて突き放すように檄を飛ばす。
「東京オリンピックはぜひ実現してほしいが、俺流の言い方をすれば『できるわけねえよ!』を前提に考えておけと。国民一人ひとりがなんとか生きている現実がある。スポーツ選手も180度発想転換するつもりで、『禍転じて福となす』ような独自のメッセージを発信してほしい」
その波乱万丈の半生のなかでも、事業失敗での借金、糖尿病の発症、そして離婚が連なった80年代の一時期には「自殺しよう、死ねばいいと思うほど追い詰められていた」と猪木さんは振り返る。このとき自死から踏み止まらせたものは、何だったのだろうか。
「人生、一度や二度は『死にたい』『死のう』と誰でも思うのではないか。現実の苦しみに疲れ果てていた私は、借金や人間関係などの煩わしいことから逃げたかった。しかし、死ぬエネルギーがあるのなら、まだ生きられる。どうせ死ぬなら、私らしく『闘って死にたい』と思い至ったんです」
その境地が87年10月、故・マサ斎藤さん(享年75)との“巌流島の決闘”に猪木さんを向かわせた。無観客の下関市船島で2時間5分にわたる死闘を繰り広げ、最後に勝ち名乗りを受けた。猪木さんが導き出した「生きること」とは「つねに何かと闘っていること」だったのだ。
「私の同級生が先日、コロナに罹って亡くなった。『死』というキーワードを私が出すと驚かれますが、マイナスな表現ではなく『死と向き合って生きること』こそ、今後は大切になってくると思う」
では現時点から、何を目的に、何に燃えて、生きていこうというのだろうか。
「目下の目的として、環境、汚染問題の分野で進行させているプロジェクトがあります。コロナが落ち着いたら、本格始動させたい。猪木の人生、道半ば。まだまだ勉強させてもらわなければなりません。それに、1錠4万4千円する薬を、毎日4錠飲まなければいけない。幸いに難病指定されましたが、年間の薬代だけで数千万円です。働かなきゃしょうがないなあと」
どうやら猪木さんの道は、まだまだ真っすぐ続いていくようだ。
「お迎えが来たら、潔く旅立とうとは思っているんですが……年を取ろうが、体が弱くなろうが、チャレンジし続けることこそ人生。それが“燃える闘魂”なんです」
お決まりの締めをお願いすると、深紅のストールを右拳でかかげて、猪木さんはカッと目を見開いた。ダーッという雄叫びで、こちらの全身にも気が巡った。
(取材・文:鈴木利宗)
「女性自身」2020年10月27日号 掲載