古賀さんが揮毫した柔道場にはパネルが 画像を見る

53歳という若さで亡くなった古賀稔彦さん。スポーツ紙記者は言う。

 

「実は鉄工所で働いていた古賀さんの実父も、55歳という若さで亡くなっているんです。古賀さんも50代になってからは自分の体調のことを気にはしていました」

 

昨春、腎臓摘出手術を受け、思うところがあったのだろうか。月刊『武道』(’20年8月号)で実父の思い出をこう回想している。

 

《柔道経験のある父は、暴力的な指導を良しとしない人(略)。小学校2年の頃、兄と神社の150段の石階段を毎朝、7往復するトレーニングをするため、ずっと車で神社まで送り、見守ってくれました。家族と一緒に走ったり、打ち込みをしたりするのが、楽しくてしかたありませんでした》

 

父親の背中を見て育った古賀さんは、選手として大成しただけでなく、教え子の長所を伸ばしていく指導で、谷本歩実選手ら五輪金メダリストたちも育て上げた。

 

古賀さんの柔道への熱い思いは直接の教え子だけにとどまらない。国の登録有形文化財の柔道場「湖東錬成館」(滋賀県東近江市)に今年1月、彼が揮毫した真新しい表札板が掲げられていた。同所で指導する垣谷康隆さんは経緯を語る。

 

「’04年に講演に来ていただいたとき、記念に書いていただいた色紙の毛筆がすごく上手で、力強かったんです。そこで皆で話し合い去年7月にお願いしたところ、快く引き受けていただけたのです」

 

しかも、書は1枚ではなかった。

 

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