(撮影:永田理恵) 画像を見る

偉大な父親の存在は、昴さんにとっては大きすぎたのかもしれない。また瀬古さんも、そんな息子のことをかまってやれなかったという。心に葛藤を抱いた昴さんを悪性リンパ腫が襲う。治療から逃げてしまったこともあった。覚悟を決めたのは「がん患者のトップランナー」という自覚。そして、家族の励ましだった――。

 

「これが、昴がつくってくれた金メダルです」

 

そう言うと、瀬古利彦さん(64)は黄色い紙製の“心の金メダル”をしみじみと見つめた。

 

日本のマラソン界の第一人者であり、レジェンド。現在の役職は、DeNAアスレティックスエリート・アドバイザーおよび日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーだ。

 

88年、最後のマラソンとなったソウル五輪から帰国した瀬古さんを、妻・美恵さんと、2歳になったばかりの長男・昴くんが出迎え、手ずからプレゼントしてくれたのが“心の金メダル”。

 

「昴を抱っこしたら、私にかけてくれた。『お父さんは金メダル!』と言われたようでした。いままで頑張ってきてよかったな、と報われる思いと同時に、これからは、家族を大事にしなきゃ、と決意を新たにしたんです……」

 

皺を寄せる目尻に、うっすら涙が浮かんでいるようにも見えた。その長男・昴くんは、もうこの世にはいない。去る4月13日、8年間の長い闘病生活の末、34歳の若さで旅立っていた――。

 

慶應義塾大学を卒業後、企業に1年半勤め、その後ピースボートの職員となった昴さん。しかし次第に、体調不良に襲われていった。咳は止まらず胸の痛みも出てきた。地元の病院でのCT検査で胸に腫瘍があることが判明。紹介された病院では「手術が必要」と言われ、痛みは全身に。呼吸が辛くて不眠になり、歩くのさえキツくなり、とうとう13年6月、東海大学医学部付属病院に入院することになった。

 

そこで告げられた検査の結果は、「ホジキンリンパ腫」という耳慣れない病名だった。昴さんの主治医だった東海大学血液腫瘍内科の鬼塚真仁准教授が、病気の特徴と症状を説明する。

 

「ホジキンリンパ腫とは、比較的若い方に発症する傾向がある悪性リンパ腫です。標準的な治療は、4種の抗がん剤を2週に1度投与するABVD療法です。近年は新薬が出て副作用も軽減されつつありますが、昴さんのように難治性、つまり完治が難しくなるケースもあるんです」

 

闘病が始まって以来、波状に押し寄せる凄絶な苦しみ、圧倒的な絶望感で、何度も《台所の包丁が妙に光って見え》たという昴さん。

 

そんな彼が、どんなことがあっても生き抜く覚悟を決めたのは、20年1月、医師団の若手医師の「昴くんはトップランナーですからね!」という一言による。医師は「難治性ホジキンリンパ腫患者が、骨髄移植後にオプジーボを投与する先駆的な医療に挑むこと」をたとえて言ったのだが、昴さんは胸が熱くなった。

 

《あぁ、僕はトップランナーなのか……。》

 

こんなに苦しみながら、なんのために生きるのか、生きなければならないというのか……。さんざん悩んで出せなかった答えが、その一語にあったのだ。 瀬古さんが回想する。 「昴は本当に苦しそうでした。たまに外の空気を吸わせてあげようと車いすを押して出ても、風が吹けばすぐ具合が悪くなってしまう。30分も出ていられなくてね」

 

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