僕はがん患者のトップランナー マラソン瀬古利彦語る愛息の覚悟
画像を見る 吐き気、ドライアイ、鼻にはチューブを入れ移動は車いす。苦しみと絶望の中、昴さんは若手医師の一言で、生き抜く覚悟を決めた

 

あるとき部屋で横になっていた昴さんから、こう言われた。

 

「ねえ、お父さん。マッサージしてくれない? 肩が凝るんだよ」

 

二つ返事で揉みほぐしていくと、昴さんはうれしそうに笑みを浮かべた。その日から、父が頭から腰まで30~40分かけて入念にするマッサージは日課となった。

 

そしてある日、昴さんが言った。

 

「お父さんのマッサージが、僕、1日のなかで、いちばん楽しみ」

 

瀬古さんは、涙をこらえるのがやっとだった。昴さんは、このころに初めて瀬古さんに甘えられるようになっていたのだ。マッサージは最後の入院前まで続いた。

 

しかし病魔は容赦なく、昴さんを蝕んでいた。瀬古さんは美恵さんと、誓いを立てた。

 

「夫婦でお互い、言い聞かせたんです。『ネガティブな話は、絶対にしない、発想すらしない』と。私たちは、最後まで『治るんだ!』という思いだけでした」

 

最後に入院したのは3月29日。

 

「腰の病変の治療のため『1週間で帰ってくるよ!』と軽い感じで言って、昴は病院に向かいました」

 

だがすでに肺まで転移していた。自発呼吸もできなくなるほど急速に、昴さんは弱っていった。

 

4月5日に夫妻は医師に呼ばれ「いつ亡くなられてもおかしくない状況です」と告げられる。しかし翌日、瀬古さんに入院中の昴さんからLINEビデオ通話の着信があった。5分ほどして、着信履歴に気づいた瀬古さんが慌てて折り返すと、モニター越しの昴さんは“激おこ”だった。

 

「僕がこんなに大変なときに、なんで出ないの? ボクはもう、話せなくなるかもしれない……だから、いま言いたいことを言うよ」

 

そして……、

 

「僕、お父さん、大好きだよ!」

 

瀬古さんが聞いた、昴さんの、最後の声。

 

医師に「昴くんはトップランナーですからね」と言われた日から、昴さんは同じ病と闘う人の先頭に立ち続け、走り抜いた――。

 

(取材・文:鈴木利宗)

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