■家族再会のきっかけは握手会。再びプロ野球で挑戦する決意を固めた
ところが、あるとき家族の絆を取り戻す絶好のチャンスがめぐってきたというのだ。
「剛志君の握手会が福岡のドン・キホーテであるというんです。18年11月でした。私は行って、あの子に伝えなければと思いました」
握手会当日、会場には長い行列ができていた。しばらく並んだあと、ようやく知人女性の順番となる。目の前に、かつてのわんぱくの面影を残した懐かしい顔があった。
「ギューッと握った手を引っ張ると、びっくりしてました(笑)」ややあって、自分の顔を思い出してくれたのか、ハッとした表情の新庄に、意を決して言った。
「剛志! お母さんがあんたに会いたがっとるよ。お姉ちゃんも、具合が悪いんだよ」
黙ったままの新庄。すぐに次の人の順番となり、それ以上は会話を交わせずに終わった。
「気持ちは伝わっただろうかと心配しましたが、杞憂でした。しばらく会場にいると、なんと、当の文子さんが関係者に付き添われてそっと控室に入るのが見えたんです。私が言うまでもなく、剛志君は事前にお母さんを呼び寄せていたんですね。改めて、やさしい子だと思いました。その後、文子さんからも電話をもらいました」
母は、言ったという。
「握手会のあと、剛志とお姉ちゃんと3人で食事に行ったの。久しぶりに会えて、うれしかった」
ここ数年なかった明るい声に、知人女性もホッとしたという。その後は以前同様、頻繁に3人で連絡を取り合っているようだとも。
新庄がバリから戻り、「球界復帰」を宣言したのは、この日の家族3人の食事会から約1年後のこと。その報を知り、知人女性は思ったという。
「“ボクも野球で精いっぱい頑張るから、姉ちゃんも病気に負けるな”と、そんな剛志君の思いが伝わってきました」
文子さんは、またこんなことも知人女性に打ち明けていた。
「最近、剛志君が言ったそうなんです。『お母さん、これからの人生は、何でも好きなことをやって過ごしたらいいよ。お金なら、ちゃんと送るから』と。文子さんも本当にうれしそうで、私も聞いていて泣きそうになりました」
人生を懸けて、監督としてプロ野球に再チャレンジする新庄の姿は、老母と、難病と闘う姉には、生きていくうえで、何よりの特効薬だろう。
そして新庄自身にとっても、この家族の和解が、一度は終わったはずの人生を、彼らしく、また明るいほうへと動きだすきっかけとなったに違いない。