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11月11日、球界に衝撃的なニュースが走った。ロッテで活躍した元プロ野球選手の村田兆治さんが自宅で火災に遭い亡くなった。72歳だった。

 

各メディアの報道によると、11日午前3時頃に都内の自宅2階で火事が発生し、室内から村田さんは救助されるも、搬送先の病院で死亡が確認された。目立った外傷はなく、死因は一酸化炭素中毒とみられている。

 

1968年に東京オリオンズ(現ロッテ)に入団し、トレードマークである「マサカリ投法」を武器に次々と勝利をあげ、74年にはチームの日本一に大きく貢献。その後は肘の手術で一時戦線から離脱した時期もあったが、90年まで現役を続け、通算215勝、2363奪三振の成績を残した。2005年には野球殿堂入りも果たしている。

 

球界からは村田さんの突然すぎる死を悼む声が続々と寄せられている。秋季練習中のロッテは、練習スタジアムで半旗を掲げ、吉井理人監督は「素晴らしい、尊敬する野球人だと思っていたので、今日こういう感じでニュースを知るのはすごく残念に思いました」とコメント。かつて巨人で監督を務めた堀内恒夫氏(74)はブログを更新し、「今はそれが精一杯 心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌」と綴っていた。

 

そんな村田さんだが、亡くなる少し前にある騒動を。9月23日、羽田空港の保安検査場で女性検査員の肩を押したとして暴行容疑で現行犯逮捕されていたのだ。

 

“昭和のヒーロー”のまさかの報道に多くの人が驚いたが、村田さんは再起に向けてしっかりと歩んでいた。9月25日に釈放された際、村田さんは報道陣に対して深々と頭を下げ、「もう一度、彼女に誠心誠意謝りたい。また、沢山のファンの方々に今回の私の逮捕というには本当に遺憾だと思う。改めてもう一度深くお詫びしてさせていただきます」とコメント。

 

さらに、同日夜にスポニチアネックスの記者から直撃された際、嫌な顔一つせずに、反省の弁を述べた上で、今後についてこう語っていたという。

 

「もうすぐ73歳。75、76で(活動を)やめようと思っていたけど、人生に引退はない。子供たちのために80まで頑張る。老体にムチを打って骨が折れるかも分からないけど」

 

自身の過ちにしっかりと向き合う決意をした矢先に思わぬ形で命を落としてしまった村田さん。ネット上ではやりきれない思いを吐露する人が相次いだ。

 

《このようなお別れになるとは・・残念でならない。》
《あの事件からわずかでこのようなことになってしまうのはとても残念です。》
《しっかり反省していらしたのね…。本当に残念。どうぞ安らかに…。》

出典元:

WEB女性自身

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