■地元のクラブから社会人までサッカーを続けたが、“日の丸”にはとても手が届かず
山下良美さんは、幼稚園年中の4歳のとき、兄について、地元の少年サッカースクールに。小学校では男子のクラブチームに所属した。
「女子でサッカーをしているのは、私くらいしかいなかった。当時は『サッカーをやっています』と話すと『エッ、女子でもサッカーやるんだ!?』っていう反応でした」
中学時代は、FCパルティーレ(現在は活動休止)という一般のチームに’98年に入団。初代中学生女子チームを結成した。
だがU-15の全国大会に出場できず、進学した都立西高校には、女子サッカー部がなかった。
「バスケットボール部に入部したんですが、グラウンドでサッカー部の男子が練習していると、そっちに目が行きました。『私、サッカーやりたいんだな……』と」
’04年、東京学芸大学教育学部に入学。女子サッカー部に入部した。
山下さんはこの時期、関東大学女子リーグ1部で下位争いの常連。
「しかも4年の最後の入れ替え戦では敗れて、2部に落として部を引退という結末でした」
では、選手としての個人成績は、
「関東女子1部の『ベストイレブン』に、ディフェンダー部門で選ばれたことがありました。その後、社会人チームFC・PAF時代に国体の都代表チームに招集されたことがあるんですが、予選敗退で国体は出ていません」
日本代表、つまり「なでしこ」レベルの活躍はできなかったのだ。
「日の丸なんて、とても手が届かなかったですね……。もともと、『上へ、上へ』という上昇志向もなかったですし」
このころの話になると歯切れが悪い。こと就活も明確なビジョンがなかったと山下さんは言う。結局、留年を1年したが、教員試験を受けず、大学の非常勤職員として’09年に母校に就職するのだ。