《シリーズ人間》山本由伸「号泣のマウンド」「信念が『全てに感謝』の理由」恩師&同級生ら8人が全実名回顧
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■少年野球時代の監督が述懐「根っからの負けず嫌い。エラーしたら悔やし涙を」

 

1998年8月17日、岡山県備前市に誕生した男児は母・由美さん、父・忠伸さんから1字ずつ取って「由伸」と名付けられた。後援会長で少年時代の所属チーム「伊部パワフルズ」で監督を務めていた大饗利秀さんが振り返る。

 

「お父さんは東岡山工業高校の野球部出身で、社会人でも軟式チームで内野手として活躍しました。由伸は小さいころ、お母さんとお姉ちゃんと一緒に父の応援に行っていた。物心つく前から、『自分もお父さんのようになりたい』とおもちゃのバットを振っていたそうです。小学生のときも、本当に野球が好きな子で、いつもボールを持っていました。普通に友達と話しているときも、握ってましたから」

 

動物病院の看護師として働く母の影響で、動物好きになった由伸少年の心には、芯の強さと優しさが共存していたという。

 

「根っからの負けず嫌いでした。チャンスで打てなかったり、大事な場面でエラーしたりすると、悔しがって泣いていました」

 

6年生になると、由伸はキャプテンを務める。

 

「1年生や2年生など年の離れた子の面倒をよく見ていましたね。遠征に行くと、率先して下級生の荷物や道具を運んでいました。どうすればいいか迷っている子を見つけると、自分から近づいて教えてあげていた。いいお兄さんで、みんなに好かれる性格でした」

 

行動の背景には、「全てに感謝」というチームの合言葉があった。

 

「野球道具やグラウンド、保護者の方々のサポートがあって、仲間や対戦相手がいるから、野球ができる。だから、すべてに感謝しながらプレーしなさいと言いました。味方がエラーすると『何やってんだ』と怒る子もいる。そんなときに『合言葉を思い出そうね』と」

 

中学生になると、由伸は「伊部パワフルズ」時代の先輩に憧れ、隣町の「東岡山ボーイズ」に入部する。車で片道1時間かかる遠方だったが、母は仕事のやりくりをしながら、送り迎えを欠かさなかった。

 

研究熱心な由伸は道具にもこだわり、地元スポーツ店「ウィズシー」を頻繁に訪れた。由伸の父と同い年の店主で硬式の社会人野球でプレーしていた鈴木一平さんが話す。

 

「中学生のころ、野球仲間と一緒に来ては『これいいなあ』とグラブを手にしていました。当時、私はオリジナルのブランドを立ち上げたばかりで、由伸に『ええやろ』とよく見せていました。『高校生になったら買います』と言ってくれた。社交辞令かなと思ったけど、進学前にお母さんと一緒に来て、本当に投手用と内野手用の2つを購入してくれました」

 

由伸は中学の1つ上の先輩・石原与一さんの背中を追い、宮崎の都城高校に進学。先輩の兄で、由伸と顔見知りだった石原太一さんは1年秋から都城のコーチになった。

 

「数年ぶりに再会したとき、変な距離感がありました。もともと、由伸はおとなしくて、人見知りするタイプなんですよ」

 

由伸2年の秋、石原さんが監督に就任。野球の指導以上に、人間性の向上を重視した。

 

「僕自身、高校や大学でベンチに入れない時期が長かった。控えでしたから、いつもレギュラーの練習を手伝っていた。それに対して、お礼一つ言わない同級生に疑問を持っていました。感謝しているのかもしれないけど、口にしないと伝わらない。由伸は根がすごく優しい子なんですけど、表現が得意ではなかった。ちゃんと言葉で気持ちを示そうねと指導しました」

 

自主性を尊重し、練習メニューに選手の意見を取り入れた。

 

「由伸が投手陣の意見を集約して、提案してくれました。エースとして投げた2年夏、県大会の準々決勝で0対1で負けて、『先輩の代を終わらせてしまった』と責任を強く感じて、そこから変わりましたね。自主練の時間も長くなって、日付をまたぐほどでした」

 

負けた悔しさと自分の頭で考える楽しさを知った由伸は、急成長を見せる。2年秋の新人戦決勝でノーヒットノーランを達成。球速は151キロをマークし、専門誌でプロ注目の選手として取り上げられた。寮生活の由伸は夏も実家には戻らず、自主練を繰り返し、年末年始だけ帰省した。そのときも、鈴木さんの店にグラブを持っていった。

 

「メンテナンスを頼まれ、革質や形についてのグラブ談議もしました。『なんか、専門誌で有名になってるやないか』と聞いたら、恥ずかしそうに『そうでもないです』と答えてました」

 

プロへの階段を上っていた春先、石原監督は心の隙に気づいた。

 

「3年生になる直前の練習試合で、手を抜いているように見えた。マウンドまで全力で走らず、立ち振る舞いもふだんと違いました」

 

試合が終わり、ほかの選手がベンチから離れた後、石原監督は「プロに行く選手が、あんな態度じゃダメじゃないの? みんな見てるよ」と叱ると、由伸は「すみません」と素直に反省した。

 

「本人もすぐ気づいたようです。自分がその場にいるのは、当たり前じゃない。由伸がマウンドに立てば、ほかの子は投げたくても投げられない。そういう感謝の気持ちを持ってほしかった」

 

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