アントニオ猪木のシリーズ人間に関する話題
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100万人に数人の難病…アントニオ猪木が語る「闘って死にたい」
2020/10/19 11:00「どうも。よろしく」想像よりも、ずいぶん柔和な声がした。その主を見上げると、鴨居に届きそうな高身長の紳士が、踏みしめるよう一足ずつ歩を進めてきた。ガッシリした上半身を薄紫のシャツで包み、首には象徴的な深紅のストール。“燃える闘魂”アントニオ猪木さん(77)が、目の前のソファに、どっかりと腰を下ろして話し出す。「朝起きるとね、若いころには“いの一番”で水風呂を浴びていたのが、今朝も風呂か、仏様に手を -
猪木 がん逝去の愛妻を語る「自分の命縮めて俺に時間くれた」
2020/10/19 11:00アントニオ猪木さん(77)は、後ろを振り返らずに生きてきた。「元気があれば何でもできる」を体現し、モハメド・アリ戦(76年)やイラク在留邦人人質解放(90年)など、不可能を可能にしてきた男だ。しかし、いまや杖をついて歩き、「心アミロイドーシス」という100万人に数人の難病も抱える。“毎朝元気をかき立てなくてはならない状況”と話す猪木さんは昨年8月、愛妻・田鶴子さん(たづこ・享年62)をすい臓がんで -
猪木振り返る半生 ブラジル移住では血まみれの手でコーヒー収穫
2020/10/19 06:00「私には父の記憶がほとんどありません。母は父の石炭工場経営を引き継ぎ、女手ひとつで私ら家族を養った。よって私にとっての親代わりは、祖父だったんです」アントニオ猪木さん(本名:猪木寛至・77)は43年2月20日、横浜市鶴見区で11人きょうだいの9番目の六男として生まれた。5歳になる直前に父が急死。母・文子さんと離れ、祖父・寿郎さんの家で幼少を過ごした。祖父の口癖《何でも世界一になれ、心の貧乏人にだけ