天皇陛下の令和6年能登半島地震に関する話題
1 ~23件/23件
-
雅子さま 被災地ご訪問で“立ち上がってお手振り”を。継承される「美智子さまスタイル」とは
2024/12/30 06:0012月17日、冷たい雨の中、石川県輪島市を訪問された天皇陛下と雅子さま。東京から奥能登への日帰りというハードなスケジュールのなか、元日の能登半島地震に加え、9月の豪雨被害に見舞われた輪島市の被災現場や避難所など各所を回られた。輪島中学校で両陛下からお声がけされた市中泰雄さん(86)は、輪島塗の塗師屋として50年にわたる経歴を持つ。地震があった元日から避難生活を送り、7月半ばにようやく輪島の工房に帰 -
雅子さま 涙を浮かべられた場面も…2024年の3度の石川県ご訪問を振り返り
2024/12/24 11:00腰をかがめ「おからだに気をつけてくださいね」と、避難生活を送る人々に声をかけられた雅子さま。12月17日、天皇陛下とご一緒に、元日の能登半島地震に続き、9月に奥能登豪雨に見舞われた石川県輪島市を訪問された。能登半島ご訪問は今年3度目で、霰や冷雨が降る天候でも沿道で迎える人々に、両陛下はマイクロバスから手を振られながらご移動。中学3年の女子生徒など4人が犠牲となった久手川町の豪雨被災現場では、沈鬱な -
雅子さま バスの中でも座られずお手振り…3度目能登ご訪問で“8時間立ちっぱなし”の激励
2024/12/24 06:00日中の最高気温が9度にも満たない寒空に覆われた能登半島。朝から断続的な氷雨が続く12月17日、天皇陛下と雅子さまは、石川県輪島市を訪問された。2024年9月の豪雨災害は、元日の地震で甚大な被害を受けた奥能登を襲い、輪島市では11人が亡くなり、1260棟あまりの住宅が損壊や浸水するといった“二重被災”が、人々を苦しめ続けてきた。両陛下は3月と4月にも能登地方を訪問し、以降も傷ついた被災者に寄り添おう -
「涙が出ます」雅子さま 3度目の能登ご訪問で見せられた“身だしなみへの配慮”に広がる感激
2024/12/20 06:00天皇陛下と雅子さまは12月17日、今年9月に発生した奥能登豪雨で大きな被害を受けた石川県輪島市を訪問し、被災者を見舞われた。両陛下が石川県を訪問されるのは、元日に発生した地震後の3月、4月に続いて今回で3度目。午前11時すぎに能登空港に到着されると、出迎えた馳浩知事(63)と挨拶を交わされ、輪島市に向かわれた。「両陛下のご訪問は、これまでと同じく今回も日帰りでした。現地ではマイクロバスで移動され、 -
《異例の短期間で再訪》天皇皇后両陛下 今年2度目の輪島市ご訪問、英国王への贈り物でも示された「被災地へのメッセージ」
2024/12/13 16:0012月13日、天皇陛下と雅子さまが17日に石川県を訪問されることが発表された。両陛下の石川県ご訪問は今年3度目となる。「9月の大雨の被災地お見舞いのため、日帰りで輪島市を訪れられる予定です。輪島市ご訪問は、3月22日の能登半島地震の被災地お見舞い以来、9カ月ぶりのことです。輪島市が地震と大雨の両方の被害を受けたためですが、両陛下が同じ地を、短期間に2度訪れられることは非常に珍しいことです」(皇室担 -
雅子さま 一部で体調不良報道も…誕生日文書でも示された能登救済への「身を削る努力」
2024/12/10 06:0061歳のお誕生日を迎えた雅子さまは、天皇陛下と沿道から上がる歓声にお手を振って応じられていた。12月9日、上皇ご夫妻に挨拶されるため、お住まいの仙洞御所を訪問された両陛下。雅子さまの眼差しは、ご決意の光に満ちあふれているようだった――。「この日雅子さまは皇族方、石破茂総理をはじめとする三権の長、宮内庁長官以下の幹部たちといった、多くの方々から祝賀を受けられています。ご夕食も、お祝いの御膳を天皇陛下 -
雅子さま 12月中旬に今年3度目の能登ご訪問を調整中!愛子さまは資料作成でサポートを自らご提案
2024/12/05 06:00「愛子さまが12月1日に23歳のお誕生日を迎えられました。その直前に侍従職から“愛子内親王殿下のご様子”と題された文書が報道陣に配布されています。この1年間のご活動について記載されているのですが、A4判用紙で6枚にもおよび、日々の充実ぶりが伝わってきました」そう語るのは皇室担当記者。日本赤十字社にお勤めになりながら、新たなご公務や宮中祭祀に励まれた充実の1年間の中でも、愛子さまには大きな心残りがあ -
「国民と苦楽をともに」雅子さま 東北の豪雨被害にご決断…5年ぶりの須崎ご静養を急遽取りやめられていた
2024/08/06 06:00「これまで経験したことがない大雨でした。自宅は少し高い場所にあったので浸水することはありませんでしたが、すぐ裏は山の斜面になっているので、崩れてこないか不安で……25日の夜は一睡もできませんでした」こう話すのは、山形県酒田市の大沢地区に住む池田幸子さん(70)だ。7月25日、山形県と秋田県を記録的な大雨が襲った。浸水被害を受けた住宅は、山形県で1千400棟以上、秋田県では260棟以上。犠牲者も出て -
雅子さま 訪英で疲弊のなか3度目の能登ご訪問に向け始動…示され続ける被災地への激励
2024/07/11 06:00付近に居合わせた人たちの歓声に応えて、車の中から手を振られた雅子さま。7月5日、天皇皇后両陛下が赤坂御用地にある仙洞御所を訪問された。上皇ご夫妻へ、英国への公式訪問を終えたことをご報告になるためだった。「両陛下にとってご帰国後初めての外出となりました。雅子さまはお車の中で笑顔をお見せになっていましたが、かなりお疲れも残っているそうです。天皇皇后両陛下にとって国賓としての訪英は在位中に一度きりのこと -
両陛下 約3週間で異例の連続ご訪問…能登半島でのお心遣いをプレイバック
2024/04/20 06:00「頑張ってください」というお言葉に涙が出てきましたと、穴水町で避難生活を送る夫婦は声を震わせた。天皇陛下と雅子さまは、4月12日に能登半島地震の被災地、石川県の穴水町と能登町を訪問された。両陛下が能登半島に向かわれるのは、先月22日に輪島市と珠洲市に入り被災者を励まされて以来、2度目。今回も日帰りでのご訪問だが、約20日の間に同じ県の被災地を見舞われるのは異例ともいえる。半島という地理的特性から交 -
天皇陛下 現実味帯びる前例なき「被災地への三連続ご慰問」背景に雅子さまの「ご嘆願」も
2024/04/17 06:00全壊した建物、半ば崩れている家屋……地震の爪痕がそのまま残された石川県の穴水町商店街。町長からの説明を受けながら、真剣な表情で視察されていた天皇陛下と雅子さまが目を留められたのが、営業中の美容室「しらふじ」だった。店の中に人の姿があることに気づいた両陛下は、予定にはなかったが、町長に確認をとり、美容室に歩み寄られた――。皇室担当記者はこう語る。「4月12日、天皇皇后両陛下は能登半島地震で甚大な被害 -
雅子さま 同一県の連続お見舞いは29年ぶり…石川県再訪を決断にあった「高齢者たちの涙」
2024/04/03 15:50「雅子さまは私に避難生活についてお尋ねになりましたので、水が出ないので、洗濯をするにも週に1度、金沢市に行かなければならないとお伝えしました。遠いところまで来てくださって本当にありがたいです。両陛下はいろいろと親切にお話ししてくださいました」本誌にそう語っていたのは、深見真智子さん(74)。深見さんは石川県珠洲市の中学校に設置された避難所で生活しており、天皇陛下と雅子さまのお見舞いを受けたのだ。「 -
雅子さま バスの乗車位置を逐一変更されていた!能登半島地震の被災者を励ました“神対応”
2024/03/26 06:00被災者を優しく見つめながら、一人ひとりの話に耳を傾けられる天皇陛下と雅子さま。3月22日、両陛下は石川県珠洲市の中学校に設置された、80人ほどが生活する避難所を訪問された。お二人はひざをついて被災者と同じ目の高さになられ、「おけがはありませんでしたか」「お体をお大事にしてください」と、語りかけられていく。避難所でお見舞いを受けた深見真智子さん(74)は、両陛下への感謝を述べつつ、こう振り返る。「雅 -
雅子さま 日帰り800キロ、現地ではマイクロバス移動…能登慰問は「被災地の負担を最小限に」
2024/03/20 06:00「正直な気持ちを言えば、石川県の復興には、とても時間がかかるでしょう。それでも、天皇陛下と雅子さまには、いつか立ち直った石川県も見ていただきたいです」2月に本誌の取材にこう答えていたのは、“左手のピアニスト”として知られる黒崎菜保子さん。石川県野々市市に暮らす黒崎さんは、昨年10月に開催された「いしかわ百万石文化祭」で、天皇陛下と雅子さまの前で演奏を披露している。1月1日に発生し、最大震度7の大地 -
「いつか立ち直った石川県を両陛下に」親族が犠牲になった“左手のピアニスト”が語る復興への闘い
2024/03/03 06:00【前編】「能登の素晴らしさを太鼓の音に」天皇皇后両陛下が交流した伝統芸能後継者が語る「復興への思い」から続く苦悩の末、開催を決めたお誕生日の一般参賀で、被災地へのメッセージを送られた天皇陛下。そのとき思い起こされていたのは昨秋に大歓迎を受けたばかりの石川県の人々の笑顔だったのか。今回取材したのは、「いしかわ百万石文化祭」で、両陛下が懇談された芸術家や伝統芸能を担う若者など。天皇陛下と雅子さまのお言 -
「能登の素晴らしさを太鼓の音に」天皇皇后両陛下が交流した伝統芸能後継者が語る「復興への思い」
2024/03/03 06:00苦悩の末、開催を決めたお誕生日の一般参賀で、被災地へのメッセージを送られた天皇陛下。そのとき思い起こされていたのは昨秋に大歓迎を受けたばかりの石川県の人々の笑顔だったのか。今回取材したのは、「いしかわ百万石文化祭」で、両陛下が懇談された芸術家や伝統芸能を担う若者など。天皇陛下と雅子さまのお言葉は、石川県の復興を目指す彼らにとって、心のよりどころともなっていたーー。2月23日、雨が降る寒い朝だったが -
天皇皇后両陛下 3月下旬に能登半島の被災地をご訪問へ…懊悩され続けた“現地への負担”
2024/02/25 06:002月21日、天皇陛下と雅子さまが能登半島地震で被災した石川県を3月下旬に訪問される方向で調整が進められていることが一斉に報じられた。陛下は、これまで警視庁創立150周年の記念式典、天皇誕生日の一般参賀でのおことばなど、折にふれて能登地域の人々を見舞われるお気持ちを示されてきた。「元日の発生直後から、両陛下は能登半島地震の被災地を訪問したいというご意向を示されてきました。ただ、“訪問が災害対応の支障 -
天皇陛下 開催発表は異例の17日前…一般参賀ご決断にあった「雅子さまのご説得」
2024/02/22 06:00「お体を大切に」「お仕事はいかがですか」などと、高齢の出席者たちに声をかけられた天皇陛下と雅子さま。陛下が腰をかがめ、両手で優しく女性の右手を包み込まれると、女性はうれしそうにほほ笑んでいた。「天皇皇后両陛下は2月13日、皇居・宮殿で厚生労働大臣表彰の障害者自立更生者やその支援者たちと面会されました。両陛下は、出席者のもとに歩み寄り、着席したままお話しするよう促されたのです。あくまで“国民ファース -
天皇陛下「水の問題」がライフワークゆえに…能登半島被災地で続く断水にご心痛
2024/02/08 18:30最大震度7を観測した能登半島地震。発生から約1カ月以上が経ったが、能登地方の広い範囲で断水が続き、被災した多くの住民を苦しめている。「2月6日時点で、能登地方の約3万7700戸で断水が続いていました。石川県やそれぞれの自治体は、水道の復旧を急ピッチで進めていますが、2月中にすべての世帯で断水が解消する見込みはまだ立っていません。多くの場所で3月末までに仮復旧が見込まれているものの、珠洲市の一部地域 -
天皇皇后両陛下 お誕生日一般参賀の中止も一時ご検討…示される被災者の悲しみに寄り添うご覚悟
2024/02/07 06:00東京の都心で16度を超え、暖かい空気が包んだ2月1日の昼下がり。嘱託職員として内定を受けられて以降、愛子さまは初めて日本赤十字社(以下・日赤)本社を訪問された。「内定者向けの説明会などに出席するため、5時間ほど日赤本社に滞在されていました。ほかの内定者との顔合わせもあったようですし、4月1日からの新生活に期待を膨らませていらっしゃるご様子だったと聞いています」(皇室担当記者)本社に到着された愛子さ -
両陛下「まなざしはいつも被災地へ」写真で振り返る被災地訪問
2024/01/19 11:00天皇陛下と雅子さまは能登半島地震の被害に心を痛め、直接お見舞いに行くことを希望されているという。両陛下は、これまでも常に国民の平安を願われて、何度も被災地を訪問し、優しいまなざしで人々に寄り添われてきた。■2011年 東日本大震災死者・行方不明者数が2万人を超える大災害。ご療養中だった雅子さまも、度々被災地に足を運ばれ、人々と交流されていた。昨年も両陛下で岩手県を訪れ、復興状況をご視察に。【’11 -
雅子さま 被災した子供たちにご心痛…2月にも天皇陛下と能登半島に慰問へ
2024/01/17 15:50「天皇陛下と雅子さまは、元日以降、報道や政府からの情報をつぶさにご覧になっています。多数の犠牲者、安否不明者が出ていることに、非常にお心を痛められているそうです」宮内庁関係者はこう語る。新年早々に発生した能登半島地震は、北陸地方に甚大な被害を及ぼした。震源になった石川県では、津波や家屋倒壊などのために、15日14時の時点で死者222人、安否不明者が22人と、被災地を覆った深い悲しみに、両陛下も自分 -
天皇皇后両陛下 朝まで眠らずに無事を祈られ…一般参賀中止のご決断に被災地からは感謝
2024/01/05 06:00「夫の実家がある(石川県)珠洲市(すずし)の地震被害も大きく、港に津波が押し寄せてきたり、倒壊した家が道路にはみ出したりしています。親戚も建物の下敷きになっているとのことで、いま夫が珠洲市に向かっているところなのです」1月1日に発生した能登半島地震。その翌日に本誌の取材に応じたのは、石川県野々市市在住のピアニスト・黒崎菜保子さん。1月4日午後3時時点で判明している死者は84人と、石川県を中心に甚大