「阪神地域のお嬢様学校の生徒の間では、“ファミカバン”とよばれる、デニム地のサブバッグが親しまれています。これは50年以上前に、子ども服ブランドのファミリアが売り出した製品。いまだに“お嬢様”のアイテムとして、そのブランド力を維持し続けているんです」
こう語るのは『ファミリア創業者 坂野惇子』(中央公論新社)を出版した中野明さん。10月3日にスタートしたNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』は、ここ最近のヒロインとはひと味違う超セレブ系。中野さんが著書で取り上げたファミリア創業者の坂野惇子(享年87)は、『べっぴんさん』のヒロイン・坂東すみれ(芳根京子)のモデルとなった女性だ。そんな彼女の驚きの“お嬢様ぶり” を中野さんが解説してくれた。
■昭和4年、父がエレベーター付きの豪邸を建てる
惇子は’18年(大正7)年4月11日、レナウンの前身・佐々木営業部を設立した父・佐々木八十八(やそはち)と、母・りょう子の3男3女の末娘として生まれた。
「両親は、以前に2人の子を病気でなくしたこともあって、惇子の健康への気遣いは度を越していた。食事は外食をさせず、キャラメルもアルコール消毒していたほどです」
’29(昭和4)年、11歳のとき、高級住宅街に3階建てのハイカラな洋風家屋を新築した。
「当時としては珍しい水洗トイレ、洗濯機、電気風呂、室内の温水暖房、さらにロープ式のエレベーターも!」
小学校への登校にもお付きの人がつき、その高価な洋服や帽子はかなり浮いていた。
「『別荘の子』というあだ名が嫌で、みんなと同じボロやツギハギのある服を着たいといって家族を困らせました」
■高校時代のスキー旅行がきっかけで“恋愛結婚”
惇子は神戸のお嬢様が通う甲南高等女学校へ進学。16歳のとき、甲南高等学校に通う男子学生とグループでスキー旅行に出かけたときのことだ。
「惇子のリュックサックのひもがほどけているのを結んであげたのが坂野通夫で、これが交際のきっかけに」
当時、惇子ほどのお嬢様育ちならば、親がお見合い相手を用意するものだが……。
「通夫との交際を認めるほど八十八はリベラルな考えの持ち主だったようです。“女性も働きに出るべき”という父の考えも、後の惇子に大きな影響を与えます」
’40年5月、2人は結婚した。
■教育には際限なくお金をかけた
結婚後は、外国人が多く住む高級住宅街に居を構えた。
「’42年に長女の光子が誕生。隣人のイギリス人のオーツ夫人に『日本の育児は遅れている』と言われていたので、西洋式の育児を取り入れようと、外交官などの家庭に育児指導をしていたベビーナースの大ヶ瀬久子を紹介してもらいました」
当時、夫の通夫の月給は90円だったが、惇子は月150円を教育のために費やした(現在に換算すると約27万円)。“子どもにとって最高のものを”という思いが、ファミリアの企業理念の礎となったはずだ。
戦後は一転、急激なインフレなどによって貧しい生活を強いられ、惇子は“自力で収入を得なくては”と奮起し、’50年に株式会社ファミリアを設立。ファミリアは大成長を遂げる。惇子は’98年に一線を退き’05年に逝去する−−。
「子どもにとって良質な商品=べっぴん(別品)を作るというポリシーは生涯、曲げなかったそうです」
惇子の思いは娘婿、孫へと受け継がれ、ファミリアは唯一無二のブランドとして愛され続けている。