2012年に東京で結成された4人組バンド、DYGL(デイグロー)。ロンドンに活動拠点を置き、世界中を飛び回る次世代のロックバンドだ。今回、沖縄出身の秋山信樹さん(ボーカル/ギター)にインタビューを行った。「人種のるつぼ」と呼ばれるロンドンの街で暮らす彼の言葉からは「多様性を認め、自分の心に素直に生きる」という2020年代を生きる若者のロールモデルとなるヒントがちりばめられていた。
◇聞き手・野添侑麻(琉球新報Style編集部)
―自己紹介をお願いします。
DYGLでギターボーカルを担当しています、秋山信樹です。東京育ちですが、生まれは沖縄県うるま市。うるま市がまだ具志川市だった頃の話です(笑)。親戚の多くは沖縄に住んでおり、毎年休みを取って帰ってきているので沖縄で過ごした時間は長い。なので、ウチナーンチュとしてのアイデンティティはとても強いんです。高齢の親戚が多いので、老人ホームに訪問してユンタク(お喋り)したり、畑仕事を手伝ったりして、帰ってきた際はいつもゆっくりした時間を過ごしています。
―世界中を飛び回り音楽活動をされている秋山さん。音楽との出会いはいつでしょうか。
初めて楽器に触れたのは、小学校の時。放課後、音楽室に忍び込みドラムを叩いたのがきっかけです。「これは面白い!」と思い、親にお願いして電子ドラムを買ってもらいました。でも、当時は特に音楽が好きなわけではなく、スポーツ的な感覚でドラムを叩くのが好きなだけでした(笑)。小学校高学年に上がり、BUMP OF CHICKENやORANGE RANGEなどの国内の音楽をきっかけに音楽にのめり込みました。中学にあがって初めてバンドを組んだのですが、その頃にはギターボーカルに興味を持って練習するようになりました。どうせやるならオリジナル曲を歌いたいという気持ちがあり、この頃から作曲も始めました。それから少ししてCDショップでThe Viewというスコットランドのバンドに出会ったのですが、それが決定的に自分の音楽性を決定づけました。まさに自分が求めていた音楽だと思い、衝撃を受けたのを覚えています。その後大学でDYGLを結成し、今に至ります。
―バンドを始めた頃から、将来はミュージシャンになりたいと思っていましたか?
うーん、仕事にしたいというよりも「これは飽きずに続くだろう」という感覚がありました。僕は飽きっぽい性格で、興味があるものに手を出しては中途半端に投げ出していたのですが、不思議と音楽はずっと続けていけると思えたんです。今ではありがたいことに音楽を生業としていますが、「仕事にする・しない」は別として音楽をやる上で「自分のやりたいことを曲げない」ということが大事だと思っています。仕事にしているせいで、やりたい音楽が出来なかったら本末転倒。もし自分がそうなったら、今の生活を捨てて別で仕事をしながらでも、やりたい音楽を続けたい。そのくらい姿勢を曲げず、自分の音楽を表現することは大事だと感じています。なので、やりたい音楽を、やりたい場所で出来ている今の環境には感謝しています。
エネルギーに満ち溢れた街、ロンドン
―今はロンドンを拠点に活動をしているそうですね。以前から「イギリスのバンドに影響を受けた」と公言されていますが、そんな憧れの地での生活の様子をお聞かせください。
去年6月からロンドンにメンバー全員で住んでいました。そのまま住み続けるつもりだったんですが、7月からツアーがあり半年近くイギリスから離れちゃうので、住んでいた家を一度解約してきちゃったんです。このツアーが終わったら、今後の拠点をどこにするか決める予定です。
たった1年間の生活でしたがロンドンは、とても居心地が良く感じました。今、音楽シーンではヒップホップが影響力を持つようになって、世界的にロックバンドの元気がなくなっているけど、ロンドンはバンド文化が根強く残っており、多くのインスピレーションを貰えるんです。ジャズなどの他のジャンルの音楽がロックと融合するなど、懐古主義ではない実験的なスタイルには感化されました。また移民が多いロンドンの多様性という部分にも刺激をもらっています。
元からあるロンドンの文化の中に移民の方々の文化が混ざることで、更に新しいものを生み出しており、この多様性を受け入れる懐の深さこそがロンドンの街としての強さだと思いました。プレスリーやビートルズのように黒人音楽と白人の感性を合わせて生まれたロックは多くの人を魅了しました。黒人たちのローカルなコミュニティが産んだヒップホップも、今では世界中に広がりを見せて、各地域で特色が混ざり合っているからこそ、発展し続けています。そんな多様化を受け入れる空気感が、世界の中でもロンドンは特に強いと感じました。
外を歩けば、見たことのない食べ物や嗅いだことのない香水の香り、民族衣装に身を包んだ人が多くすれ違い、まるで街自体がミックスしているように感じます。なので、自分が「よそ者」ではなく、その多様性溢れる街の一部として過ごせるのが居心地良い。それでいて、最先端のアートや音楽に日常的に触れることができる環境があるのが素晴らしい。家の近くに美大があり、よく展示会を観に行っていたのですが、学生が作ったとは思えないほどレベルが高い。そこでも半数以上がアジア系の学生の作品だったりもして。
またロンドンの特色で面白いと思ったのは、感性が近い人同士がジャンルの垣根を超えてコミュニティを作っていることですね。アーティスト、会社員、シェフなど業種関係なく感性が近い人同士で交流があって、それも面白い文化が生まれる理由の一つなのかと感じました。それぞれの業種の特徴を面白がりながら、新しい表現方法が生まれる瞬間をたくさん見てきました。垣根がないからこそ奇抜なアイディアがどんどん生まれる自由さが本当に衝撃的だった。日々発見と固定概念が崩されていくのはとても面白かったです。
バンドのために大学進学!?
―まさしく街自体が多様性を受け入れている結果が、ロンドンが芸術の街として発展し続けている理由なんですね。ところで秋山さんは昔から英語は得意だったんですか? DYGLは全曲英語で歌われており、発音がとても綺麗で、初めて聴いた時は洋楽かと思ったほどです。
英語は、自分の表現したい音楽をする上で欠かせないスキルになると思い、力を入れていたんです。特に発音をしっかりと意識することに重点を置き勉強していました。発音って訛りがあっても会話は成立するので、英会話という点ではそこまで神経質になる必要はないのですが、僕は音楽的に好きなサウンドで歌いたいというこだわりがありました。そこで単語勉強の際は同時に発音記号も覚えたり、口や舌の動きを徹底して試すなど、かなり意識して発音を試しました。だから初めのうちは英会話は全くできないのに、発音だけがどんどん良くなるという矛盾した感じになりましたね(笑)。今では幾分会話も上達したのですが、言語に完璧はないので、勉強の日々です。
―大学では英文学専攻だったという話を聞きました。これも作曲時の英詩を書く力を身に着けるためでしょうか?
そうですね。英詩を書くのは、英作文とはまた違う力が必要になると思い、英文学に専攻を決めました。恩師と呼べる先生と出会い、彼には今でも歌詞を見てもらったり、音楽の話をしたりと卒業後もお世話になっています。彼は元々海外の出版社で記者をしていて、バンド活動の経験もあったので、たくさん相談にも乗ってもらっていました。彼の授業は、18世紀の詩人の英詩から、デヴィット・ボウイなどロックバンドの歌詞まで幅広く取り上げてくれて、とても身になる授業でした。「詩に答えはない」という先生の考えの元、他の生徒たちと詩に対する解釈を深く議論し合えたのも、僕の詩に対する価値観に大きな影響を与えています。
とにかく学生時代は、発音を良くし、自然な詩の書き方を学び、自分の表現につながることをしたかった。僕には音楽家になりたいという目標ができて、やるからには自分がしたいことを目一杯表現できる人になりたかった。音楽に出会ってからはそのことしか考えていないと思います。
A Peper Dream(Live)-DYGL
https://www.youtube.com/watch?v=sZ3_YeGqeiA
故郷・沖縄への想い
―闇雲に努力し続ければ良いわけではなく、目標と今の自分の能力を見定め必要なところに力を注いでいく。とても為になる話でした。さて、沖縄との繋がりについてお聞かせください。秋山さんは今年のフジロックフェスティバルで、沖縄の抱える社会問題について考えるトークライブに出演していたのも記憶に新しいです。
僕の親族には米軍基地内で働いている人が多いので、トークライブではその視点で話せることを話しただけでしたが、多くの人が集まってくれて沖縄について考えるきっかけを提供できたという意味では、本当に良かったと思います。会場では玉城デニー知事ともお会いすることができて、彼もうるま市出身だという話で盛り上がりました(笑)。
なぜ沖縄県知事がフジロックに出演するの?
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-960938.html
―秋山さんは、沖縄の抱える問題に対して率直な思いを発信されていますよね。
昨年辺野古に土砂が投入された時は、県民投票や選挙で民意を示し続けているにも関わらず、「結局どうしようもないのか…」というような、やるせない感情になったのを覚えています。辺野古の問題は、環境や防衛など多くの側面から語られるので焦点が定まりづらく、一言でどちらが正しいとは言い難いのですが、やはり政府から「ずっと沖縄に基地を置いておけばいい」と思われていることが、良くないと思います。今も工事は進んでいますが、だからこそ今からでも考え続けなきゃいけないと思います。
県民投票を経て、皆で各々の考えを話せたというのは政府だけではなく、多くの人に対しても再度の問題提起になったと思います。だからこそ声をあげ続けなきゃいけません。常日頃から仲間内でもタブー視せずに、話せる雰囲気になれることが理想ですね。
でも「お前の考えは間違っている」っていう一方的な態度だと、不必要な軋轢を生むだけなので、話し合って理解を深め、次の一歩を進めていくことが大事。実情を知り、議論に慣れ、知識を深めてから見えてくることもあると思います。「仕方ない」と切り捨てるような考え方では、この先沖縄以外でも別の問題が起きる度に、同じ過ちを繰り返しかねません。だからこそ辺野古の問題は、日本全体で考える責任がある問題だと思っています。
―日本ではまだ著名人が社会的な話をすると嫌がられるような雰囲気がありますが、そういう中でも自身の思いを発信する理由は何でしょうか。
僕は自分の発信を見てくれている人たちに対して想いを共有するために発信しています。有名とか無名とかは関係ないと思う。一個人として、思ったことを発信するのが当然の社会であってほしいと思っています。表舞台に立つ人だからといって必ずしも影響力があるとは思っていません。アメリカだって先の大統領選時は、トランプさんに対して僕の知りうる著名人は全員反対していましたが、結局は彼が選ばれました。「影響力のある人たちが声を挙げているから大丈夫だろう」で終わるのではなく、彼らの意見は政治に興味がない人たちに振り向いてもらえるきっかけにすぎず、皆で考え行動しなきゃその先は何も変わらない。選挙では著名人だろうと誰でも同じく一票しか投じられないのですから。
だからこそ選挙に行き、行動で示すことが必要。誰にでも好きなアーティストがいるように、彼らの声をきっかけにして政治に向き合える人が増えればいいなと思っています。そのために僕はファンに対して、そういった想いが届くように発信しています。もちろん僕とは反対の意見を抱いても良いし、それぞれ次の議論と行動につなげるために自分の考えを発信し続けてほしいと思っています。
沖縄は多様性を活かすロールモデルに
―確かに著名人たちは影響力をもっているとはいえ、それを活かすのはその人次第。そのきっかけ作りのためにSNSでも意見を述べているのですね。そんな秋山さんにとって「沖縄」とはどういう存在でしょうか?
沖縄から貰っているものは沢山あるけど、一番は「安心感」かな。帰れる場所があると思うとほっとします。もちろん東京も僕のホームですが、沖縄に帰ってきた時の安心感はまた別物ですね。思い返せば小さい頃から、沖縄から東京に戻る時は後ろ髪をひかれるような思いになっていました(笑)。沖縄にルーツがあるということで、自分のアイデンティティも強く形成されているし、とても大切な場所です。すごくインスピレーションを受けていると思います。
また沖縄の音楽シーンについても可能性を感じている部分があります。海外のようにジャンルを超えた仲間同士で楽しみながらミュージシャンやクリエイターになれる環境があれば良いなと思っていたのですが、人と人の距離が近い沖縄なら、そういう土壌が生まれるチャンスがあるのではと感じています。そのような環境が生まれた後も、県外や国外から来た人たちが混ざっていき、更に良い作品を生みだしていけると良いですね。沖縄のヒップホップクルー「604」にも多くの県外のラッパーが参加しており、シーンを盛り上げていると聞きました。
沖縄のリアルを発信するラッパーが注目されるワケ 「604」首謀者のMAVEL×MuKuRoに聞く
https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-674419.html
この島は本当に多様性に満ち溢れています。日本としての立ち位置と、琉球王国としての在り方、そこにアメリカの文化や、中国の影響が入り交ざっている。建物の作りなど、街の雰囲気も他県とは全く違い、まるで別の国のような印象を受けることもあります。街が違うということは人が違い、人が違うということは文化が違う。その違いこそが沖縄の一番の強みだと思います。そうやって先人たちは素晴らしいアートを生み出してきたと思うし、これからも新しい文化を受け入れながら創作に活かしていけば、沖縄のアートは更に発展し続けると感じています。
創作活動は自らと向き合うセラピー
―沖縄にいる人ではなかなか気づきにくい長所を聞けて嬉しく思います。それでは秋山さんがこの先、取り組みたい目標はありますか?
目標はたくさんありますが、国内で取り組みたいことの一つとして「居場所作り」があります。日本の音楽シーンは構造が商業的で、フェスやライブハウスは売れていくための道のりに過ぎず、そこにハマる起用さと商業的才能がある選ばれた人だけのものになっているような印象を受けています。そうではなく、誰でも音楽活動を楽しめる居場所を作りたい。お互いの作品を持ち寄って感化し合えるサロンのような場所。ツアーで世界中を回っている時に、音楽がコミュニティに浸透している地域が多いことに気づきました。そういった身近に自分が信じられる居場所があるかどうかで救われる人、そして隠れた才能を持つ人たちが日本にも沢山いると思うんです。
そのため、今音楽をしている人たちに対して、決して辞めないでくださいと伝えたい。音楽家にせよ、画家にせよ、誰でも最初は「歌う、描く、作る」といった行為自体が好きで始めたことですよね。よく「バンドを解散したから音楽も辞める」という人たちを見かけますが、音楽が好きだからバンドをやっていたわけで、バンドは辞めることがあっても、音楽は辞めずに生活の一部として続けてほしいと思っています。音楽は自分の喜怒哀楽を表現できる、心と向き合うセラピーのようなツール。そのため創作活動は誰にでも開かれた身近なものなんだと認識することが、社会のためになると本気で思っています。誰でも自分を表現できる場所作りを、この先の指針として取り組んでいけたらと思います。
―一つずつ目標を叶えてきた秋山さん。個人的には年齢が同じということもあり、その姿を見て日々勇気づけられていました。最後に同世代に向けて、メッセージを伝えてくれたら嬉しいです。
何度も言うようですが、考え、声を上げること。そして何でもいいから自分がしたいことを始めて、続けてほしい。また自分と違う性格、出身、価値観の人を理解すること。考え方が合わないなら、無理して仲良くはならないでもいい。でも、少なくとも最初から否定せずに、理解しようと寄り添う努力は大切だと思います。
沖縄は、文化的にも歴史的にも様々な彩りが混ざった、世界的にも特殊な場所。そんな場所で生活している人たちには、きっと大きな力があるはず。どうか自分の心の声を大切にして、思い描く人生を思いっきり生きて欲しい。そういう姿勢こそが、周りの人たちの希望になると思います。共に楽しみましょう!
インタビュー後記
2014年の夏。秋山君が以前結成していたバンド、Ykiki Baetの「Forever」という曲に出会った。イントロを聴いた瞬間に、身体中に電気が走ったような感覚になったのを今でも覚えている。シンプルながらも音が重なり、広がっていく様子はまるで新しい時代の幕開けを鳴らしているようにも聴こえた。彼らの名は、瞬く間に広がり世代を代表するバンドになった。調べると全員同い年。当時から秋山君は世界に出ていくことを公言し、夢を叶えていく姿を見て、勇気をもらっていた。そして3年後、とあるイベントを介して、僕たちは友達になった。
私の目から見た秋山信樹という人はとても強く、厳しく、心優しい青年だと思う。常に社会的に弱い立場の人たちのことを考え、間違っていることには誰に対してもハッキリとNOを突きつける。それはバンドマンが備えるべき重要な素質でもあるように感じる。そんな彼は、ロンドンに移り住み、より大きな優しさと強さを育んできたと取材を通して感じた。今や世界で4番目に外国人を受け入れている我が国。彼の言葉の中には、この多様化する社会の中でいかに成長していくかというヒントが散りばめられていると思う。私も彼を拾って、自分の中に落とし込みながら様々な垣根を超えていく力を養っていきたい。
DYGL
オフィシャルWEBサイト:https://dayglotheband.com/
オフィシャルTwitter:https://twitter.com/dayglotheband
Nobuki Akiyama オフィシャルTwitter:https://twitter.com/nobukiakiyama
オフィシャルinstagram:https://www.instagram.com/nobukiakiyama/
聞き手・野添侑麻(のぞえ・ゆうま)
2019年琉球新報社入社。音楽とJリーグと別府温泉を愛する。18歳から県外でロックフェス企画制作を始め、今は沖縄にて音楽と関わる日々。大好きなカルチャーを作る人たちを発信できるきっかけになれるよう日々模索中。