「父の口癖は『やってはいけないことはない』でした」
500年の歴史を持つ老舗和菓子店、「虎屋」の創業家の長女として生まれた黒川周子さん(39)。
伝統に縛られない家風のなかで育った黒川さんは、中学3年生で英国留学を自ら決め、その後ニューヨークでアパレルメーカーに就職。帰国後、食に関する事業も展開していた出版社・木楽舎の編集長にカフェ経営についての話を持ちかけられる。
「不思議に、食と関わる仕事をいつかしたいという思いは、ずっとありました。意識はせずとも、幼い頃から稼業に取り組む父や職人さんの姿を見てきた影響も大きいかもしれません。このカフェで、ニューヨークで積んだ接客業と、未知の世界だった飲食業への挑戦の両方ができると思いました」
こうして築地本願寺境内にオープンした「カフェ・ド・シンラン」の店長として、食の分野との関わりがスタートした。仏教にちなんだ精進ディナーがある、と一躍話題になり、想像を超えた激務が黒川さんを待っていた。店のコンセプトからメニュー考案、仕入れ、製造、接客、皿洗いまでこなした彼女は、飲食の仕事の奥深さを知る。
「人と、食を通じて触れ合う楽しさですよね。よし、“食べる喜び”を伝える仕事をもっと掘り下げたいと思って、独立しました」
自身の事務所を設立し、様々なタイプの出店企画などに携わっていた2010年、突然「ルコント閉店」の報に接して、ひどく驚く。ルコントは、日本初の本格フランス菓子店。子供のころから黒川さんが通い詰めた大好きなお店だったのだ。この時ばかりは一ファンとしてのシンプルな落胆の思いだったという。
それから2年近く過ぎた頃だった。誰もが親愛を込めて“マダム・ルコント”と呼ぶアンドレ・ルコント夫人から、ルコント再生への思いがけない意思を告げられ、受け入れる。
「マダムは純粋にルコントのお菓子を守りたい、受け継いだ技術を残したいと思っていらっしゃいました。私も食に関わる者として、ルコントのお菓子なら経営的に行けるのではという判断でした。後継者がいなくて、惜しまれながら閉める店が多い。これからの時代、先輩から志ある後輩へ、という形もあるのではないかと思ったのです」
再スタートにあたっては、かつての同店の職人らも再集結。エグゼクティブシェフとして迎えられたルコント氏の一番弟子・島田進さんは黒川さんをこう評す。
「フランス菓子は奥深いものですから、子供の頃から培った味覚は大事なんです。加えて、彼女は和菓子店の老舗に育って、伝統をどう継承していくかということも身に染みて体験してきている。彼女ほどふさわしい人はいないと思いました」
黒川さんが社長になり、13年、広尾にルコントは復活。オープン50周年の節目にルコント氏の故郷を訪れた黒川さんは、遠路はるばる日本にやってきた菓子店の歴史に思いを馳せ、同時に「虎屋」の挑戦が脳裏によぎったという。
「ムッシュ・ルコントとは逆に、私の祖父たちが40年近く前にパリ出店を決めた時も、同じ状況だったのだと知りました。羊羹をフランスの人たちが『黒い石鹸』と間違えたという逸話も耳にしています。そんな時代ですから、周囲からは、さぞ無謀な挑戦と思われたことでしょう。でも、今、自分もルコント再生に関わってわかるんです。苦労や挫折もあっただろうけれど、大好きなお菓子のことですから、きっと喜びの方が大きかったんだろうなって」
羊羹とケーキの違いはあろうと、気持ちはきっと変わらない。先達の思いを黒川さんも共有しながら、今、ルコントは次の50年に向かって進み始めた。
「歴史に敬意を払いつつ、伝統として守るべきものは守りながら、時代に合わせて変えていくことも恐れずにチャレンジしたい。ムッシュや、私の祖父や父らがそうしてきたように」
去年、目まぐるしく変わる街、渋谷にもルコントは出店。チャレンジを続ける原動力は「お客様からいただく『おいしい』と『ありがとう』のひと言と笑顔」だと、黒川さんは力強く語った。
「女性自身」2020年2月11日号 掲載