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4月20日。コロナ禍による緊急事態宣言のもと、ひっそりと静まり返った東京・銀座で、老舗弁当店「木挽町辨松(こびきちょうべんまつ)」は最後の日を迎えていた。社長・猪飼信夫さん(67)は、70代が目前に迫るなか「元気なうちに、店を誰かに譲りたい」と考えていたところだった。昨年夏ごろから、事業譲渡の計画を進め、それも大詰めというタイミングでコロナが重なり、あえなく白紙化。辨松の味とのれんを後世繋げることが、コロナの影響でできなくなったのだ。

 

辨松の弁当の味は、152年間不変。美食家で知られた作家・池波正太郎、新派の女形・喜多村緑郎や花柳章太郎、作家で俳人の久保田万太郎など、木挽町辨松の味を愛した著名人は数多い。猪飼さんは、特に印象深かった思い出を語ってくれた――。

 

「何と言っても、うちをひいきにしてくれたのは、歌舞伎俳優の方たち。あるときテレビでね、好物を聞かれた坂東三津五郎さんが『歌舞伎座の前、前』ってうちのことを紹介してくれてね。あれはうれしかったな。これから京都公演なんてときも必ず寄ってくださって。『新幹線で食べるんだよ、これが楽しみなんだよ』って」

 

たくさんの歌舞伎俳優のなかでも、「思い出深いのは中村勘三郎さん」と猪飼さんは振り返る。

 

「勘三郎さんがお好きだったのは、赤飯じゃなくて、白いご飯のほうの“懐石弁当”でしたね。また、まだ勘三郎さんが幼くて、勘九郎を襲名して間もないころ。お父さんの十七代目の勘三郎さんの楽屋に、うちの叔父が弁当を届けたことがあったんですよ。そのときね、楽屋の入口に出てきて、『ちょっと待ってね、ちょっと待ってね』って叔父に言うんだって。お弟子さんがお財布を持ってくるまで待ってくれってことだったみたいだけど。『その姿がかわいくって』と、叔父はよく言ってましたよ。

 

幼い時分から、そういう気遣いの人だったからね。勘三郎さんって人は、人の誘いを断わんないんだって。どんなに疲れてても、遅い時間でも、誘われたらお酒飲みに行ったり麻雀しに出たり。だから体、壊しちゃったんじゃないかな、と思うな。勘三郎さんに最後に弁当を届けたのはご葬儀の真っ最中、読経のときでした。亡くなってすぐに注文が来てご自宅に配達したんだけど……、僕より3つも下だったからね……、残念でしかたない」

 

辨松閉店の報道では松本白鸚、中村芝翫、中村獅童などなど、そうそうたる顔ぶれの名優たちが、コメントを寄せた。

 

「(尾上)右近さんなんて『嘘だろ!』と言って、うちを惜しんでくださったって。そんなこと聞くとね、本当にありがたいと思いますね。女優のうつみ宮土理さんもね、《やめちゃうの残念だけど、いままでありがとう》って、わざわざ自筆のお手紙をくださいました。

 

そうやってね、ごひいきにしてくださった皆さんが『おいしかった』『ありがとう』と言ってくださるのが何よりうれしいですよ。最終日にもね、これまでほぼ毎日買いに来てくれた女性のお得意さまが、『これからどうしたらいいの?』って言うんですよ。そんで、涙こぼしながら『いままでありがとう』って。これには、僕もグッときました。本当なら、こっちが感謝の言葉を述べなきゃなんないのにね。

 

皆さんからそうやって『ありがとう』と言われて、ああ、辨松の社長やってきて、ここまで全うしてきてよかったなと、本当にそう思いましたよ。それにしても……。ここまで静かな銀座は初めて。まるでゴーストタウンだ」

 

閉店の日、4月にしては冷たい雨がそぼ降るなか、猪飼さんと幹部ら3人が店頭に姿を見せた。そして、万感の思いをかみしめるように、歌舞伎座に向かって深々と頭を下げる。こうして木挽町辨松は、152年という長い歴史に幕を閉じた。

 

「女性自身」2020年5月26日号 掲載

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