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長瀬智也(41)が来年3月でジャニーズ事務所を退所すると7月22日に発表された。

 

長瀬の今後について、ジャニーズ事務所は公式サイトで「他事務所に属することなく、裏方としてゼロから新しい仕事の形を創り上げていくことになりました」と報告。松岡昌宏(43)は本誌の取材に「今までやってきたものを、クリエーターとしてやっていきたいということは我々に教えてくれました」と明かしている。

 

長瀬はこれまで本誌で、音楽へのこだわりぶりを語ってきた。97年7月、当時18歳の彼はギターをすでに30本以上持っていると告白。「部屋じゅうギターだらけで(笑)」「ボクが好きなのはオールドギターで、1950年代のレスポールという形のギターが好きなんです」とも話していた。

 

その1年後の98年2月にはDEEP PURPLEのメンバーだったリッチー・ブラックモア(75)を「神様」といい、こう続けた。

 

「ギターを弾くことが習慣になってますから、弾かないと次の日に悪いことが起きそうな気がするんです。弾かないでいると指が寂しいので、撮影の合間にもよく指を動かしてるんですよ」

 

また19年10月、編曲家の船山基紀さんはTOKIOが06年にリリースした「宙船」のレコーディング時のエピソードを本誌に明かしている。船山さんが編曲に悩んでいると、長瀬が自分でデモテープを作って持ってきた。長瀬はドラムの8ビートにもこだわりがあり、「長瀬智也は生粋のバンド小僧なんです」と船山さんはコメント。

 

さらに「長瀬くんからは、自分の作品を作っていきたいという強い思いを感じていました」「『ものすごい量の曲のストックがあるんです』とか言っていたなあ」とも船山さんは述べていた。

 

■「ほかの誰かからすれば“間違い”だったとしても…」

 

そんな長瀬とはいえ、“裏方のクリエーター”に回るというのは意外な舵取りのように思えるが――。

 

しかし退所発表後の本誌取材で松岡が「(長瀬は)40歳を超え、自分は自分なりにやりたい道、自分がどこまでやれるのかというチャレンジ、それをやっぱり彼自身の中で突き詰めていきたい、と」と話したように、長瀬は“不惑の決意”をうかがわせていた。

 

たとえば13年11月、彼は本誌でこう語っている。

 

「世の男性が安定に向かう節目の年齢であっても、俺は攻めていきます。挑戦することができないことほど、面白くない生き方はない。仕事もプライベートもガンガン攻めて前に進んでいきます」

 

さらに18年7月には「自分のやってきたことのすべてが、ほかの誰かからすれば“間違い”だったとしても、僕にとっては間違いじゃないと思うから、後悔はない」と信念の強さを示す。そして40歳を目前に控えていた彼は、こう話していた。

 

「僕は僕のままでいたいし、いなきゃいけない。その姿勢がほかの“闘う人たち”に勇気を与えることができたらいいなと思います」

 

その覚悟があれば、前途は明るいはずだ――。

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