「’08年にV6の人気番組であった『学校へ行こう!』(TBS系)が終了すると、同時期に嵐や関ジャニ∞といった後輩グループが次々に台頭してきていました。いっぽうV6はデビューから13年が経過し、最年少の岡田さんも30歳が目前に迫ってきていました。『自分たちはこのままでいいのか?』、そんな悩みをメンバーたちが感じ始めていたのです」
こう語るのは、かつてV6メンバーと数年間にわたり仕事をしていた男性・Aさん。3月12日に森田剛(42)が11月1日をもってジャニーズ事務所を退所し、グループの解散も発表したV6。26年間、誰も脱退することなく活動を続け“ジャニーズの優等生”とも呼ばれる彼らだが、実は約10年前にも“解散の危機”を迎えていた。
「具体的に解散の危機が表面化したのは’10年ごろ、V6のデビュー15周年の前でした。『15周年を花道にしては』と、解散を主張するメンバーが2人、存続を主張するメンバーが4人で、真っ向からぶつかりました」(前出・仕事関係者Aさん)
解散派は岡田准一(40)と井ノ原快彦(44)だったという。
「岡田さんは『SP 警視庁警備部警護課第四係』(フジテレビ系)で、俳優として手ごたえを感じていました。また井ノ原さんも、『あさイチ』(NHK)のキャスター就任が決まるなど、マルチタレントとしても開花していました」(前出・仕事関係者Aさん)
いま振り返ると意外にも思えるが、森田は“存続派”だったという。
「デビュー前から特に仲がよかった三宅さんも存続を願っていたこともあったのでしょうが、『V6としてまだ燃焼しきっていない』というのが彼の主張でした。
両派は激論を続けましたが、森田さんが頑張ったこと、さらにジャニー喜多川社長(当時)の説得もあり、解散の危機を脱したのです」(前出・仕事関係者Aさん)