(撮影:高野広美) 画像を見る

「高知では、近所の子もウチの子も、みんな“わが子”みたいな感覚です。まさに『高知家』で、みんな“近い”んですよ。他所のお家でご飯をいただいたり、具合が悪いときはウチで洗濯物をたたんでくれたり……長屋みたいなコミュニティなんですね」

 

こう話すのは、映画監督の安藤桃子さん(39)だ。

 

俳優・映画監督で画家の奥田瑛二さん(71)、エッセイストでコメンテーターの安藤和津さん(73)の長女であり、妹はカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品『万引き家族』(’18年)やNHK連続テレビ小説『まんぷく』で主演した女優の安藤サクラさん(35)。

 

そんな芸術一家で東京に生まれ育った桃子さんは、’14年に移り住んだ四国の高知県で、いまは6歳の長女と暮らしている。

 

《「親の七光り」と、パソコンに打ってみる……私はいわゆる二世だ》

 

最新エッセイ『ぜんぶ 愛。』(集英社インターナショナル)でもこう記しているように、桃子さんは幼少時から“芸能人の娘”として注目される環境にいた。

 

小学校低学年のときに「誰も私のことを知らない場所に行きたい」と思い始め、高校一年生の夏に単身イギリス留学したのだ。

 

しかしこれも“わがまま”で、しょせん“親の脛かじり”と思われるのではないか。

 

ところが“奥田瑛二の七光り”は、そこらのものとは“別モノ”だったのである。

 

ビートルズやシド&ナンシーを生んだイギリスで学生生活を謳歌していた桃子さんに、母から電話があったのは、大学2年生の初夏のことだった。

 

「お父さんの会社が倒産するかも。学費はもう払えない……ごめんね」

 

当時、父の奥田さんは映画製作会社を設立し、念願だった監督業に進出していたのだが、製作費を騙し取られ、莫大な負債を抱えてしまったのだという。

 

「そこから私は一気に“超貧乏生活”でした。アパートメントを出て、パンツとブラジャーと数枚の着替えのみで、友人宅を渡り歩きはじめました」

 

最初の友人宅は治安の悪い集合住宅街だった。

 

「窓からは隙間風、シャワーは2日に一度だけ、床にゴロ寝でネズミとの共同生活。シャンプーがなくて髪にオリーブオイルを塗って寝たら、翌朝、頭が蝿だらけで(笑)」

 

そんな半年間の極貧生活は、しかし桃子さんの創作活動のエッセンスを与えてくれた。

 

「お金がなくても、知恵やアイディアでなんでも生み出せる。クリエイティブの可能性と楽しさを教えてくれたのが、ロンドンでの生活でした」

 

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出典元:

WEB女性自身

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