【前編】男たちは妻や幼い我が子を手にかけ…沖縄を襲った集団自決の真実から続く
今月15日で沖縄本土復帰50年を迎える。いまから77年前、米軍との地上戦に巻き込まれた多くの民間人があまりにも悲惨な最期を遂げた。ジャーナリスト、それに女性史の研究家である、宮城晴美さん(72)の家族も心に大きな傷を負った。
その犠牲の上にいまがあるが「沖縄にはまだ戦後はない」と、宮城さんは訴える。現在の不穏な世界情勢を受け、軍備の増強を叫ぶ声も少なくないが、国が私たちを守ってくれるというのは幻想ではないかと、沖縄の歴史は物語るーー。
「これ、甘いものですけど、どうぞ召し上がってください」
こう言ってにっこりほほ笑むと、宮城さんは深々と頭を下げた。
「もう、土産なんかいいのに……」
差し出された菓子折りを遠慮がちに受け取ったのは、港からほど近い集落の一角で、家族で民宿を営む田中美江さん(91)。
「あんたのお母さんには本当に世話になったんだから。ところで、海は荒れなかった?」
田中さんの言葉に宮城さんは「今日はとっても静かでした」と、ふたたび笑みを浮かべてみせた。
ここは沖縄・座間味島。那覇市の西およそ40kmに浮かぶ、エメラルドグリーンの海に真っ白い砂浜がまぶしい、楽園のような島だ。しかし、いまから77年前。「アメリカー(米軍)に捕まったら男は八つ裂き、女は強姦される」と日本軍から徹底的に教え込まれてきた島の男たちは「そんな目に遭うぐらいなら」と次々と妻子、姉妹を手にかけ心中をはかった。この「集団自決」と呼ばれる悲劇の犠牲者は、優に200人を超す。
宮城さんは、ふるさとの島で起こった惨劇の調査を長年、続けている。折に触れ島に帰り、親族はもちろん、口の重い島民たちから貴重な証言を数多く引き出してきたーー。