クワバタオハラとしてデビューして22年目のくわばたりえさん 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、毎週見ていたドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「相方の小原(正子)さんと出会い、クワバタオハラとしてデビューして22年。プライベートでは結婚して、小6、小3、小1の子どもの育児に追われています。こんなに幸せな今があるのも、“あの人”の存在があったからかも」

 

こう振り返るのは、お笑いコンビ・クワバタオハラのくわばたりえ(46)。お笑い芸人を目指し始めたのは、’90年代初めのこと。

 

「大阪ではテレビをつければ必ずどこかで漫才や吉本新喜劇、バラエティ番組が流れているんです。土曜の昼は、『焼きそばU.F.O.』を食べながらテレビで新喜劇を見るのが定番でした」

 

正月は毎年、笑いの殿堂「なんばグランド花月」に家族で足を運び、初笑いするのが恒例。

 

「中学2年か3年のお正月に劇場に行ったとき、『かつみ・さゆり』の太平かつみさんが当時組んでいた『どんきほ~て』というコンビを見て鳥肌が立ちました。笑い声で漫才が聞こえなくなるくらいウケるのですが、次のセリフが聞きたくなるから、すぐに客席はシーンと静まり返る。そして、また爆笑。その繰り返しに“なんなの、この現象!?”と感激して。ひそかにお笑い芸人を目指すようになりました」

 

高校時代、生活の中心は中学から始めたソフトボール部の活動。朝5~6時に起きて練習に行き、放課後の練習を終えて帰るのは19時過ぎ。クタクタでテレビを見る気力もなかったが『ずっとあなたが好きだった』(’92年・TBS系)だけは別。

 

「とんでもないマザコンでストーカーの“冬彦さん”は社会現象にもなりましたよね。木馬に乗って妻から切り出された離婚を拒否するシーンとか、気に食わないことがあると下唇を突き出して“ん~っ”と怒る様子は狂気そのもの。“来週、あいつ、何すんねん”って先が気になるから、予告を見るのも好きやった。翌週は、さらにエスカレートした気持ち悪さを発揮してくれて、また次も見たくなる」

 

翌年に放送された続編『誰にも言えない』(’93年)では、冬彦さんと同じく佐野史郎が演じた麻利夫のストーカーぶりが話題に。元交際相手のヒロイン(賀来千香子)の隣室に引っ越してきて、彼女の所有物をひそかに収集。服のニオイを嗅いだり、髪の毛をなめたりする姿に戦慄した。

 

芸人を目指すことを親に告白したのは、そんな高校生活が終わろうとしていたころ。

 

「商業科だったので、大半が進学せずに就職していました。でも、私は就職活動をまったくせず、どこも募集を打ち切った時期を見計らって、芸人になるために吉本興業の養成所(NSC)に入りたいと伝えました。父は『3年間だけなら』と許してくれたのですが、母は大号泣。“本家の恥”とまで言われてしまって……」

 

最終的にはしぶしぶNSC入りを受け入れてくれた母には、こんな思い出も。

 

「あるとき、母がレンタルビデオ店から映画『マディソン郡の橋』(’95年)を借りてきて、5回も6回も繰り返し見ているんです。理由を聞いても『あんたも同じ漫才を何回も見るでしょ』って返されるだけ。それで、どんだけおもしろいのか確認しようとビデオを見てみると、不倫の映画! かなりショックで……」

 

幸せだがありきたりな日常生活を送る女性が、束の間の不倫を経験し、その思い出を大事に心にしまっているという物語。

 

「自分が母になって家事に追われる毎日を送っていると、そんな特別な恋に憧れる気持ちもわかります。でも、当時は母が不倫の映画を見ているだけでも、完全な拒否感がありました。しかも、母はめちゃくちゃモテたので、現実的だったんです。スーパーでレジ打ちのパートをしていたときも、お客さんから電話番号が書かれた手紙をこっそり渡されたりしていて。あるとき、母の化粧ポーチから『ボクは◯◯大学の◯回生です。電話ください』という紙切れが出てきたときは逆上してしまい、『うちのお母さんに変なことすんな!』と電話で怒鳴ってしまいました」

 

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