アイドル時代は“とろりん”の愛称で親しまれた(写真:所属事務所提供) 画像を見る

「明菜さんの復活は“待ってました!”という感じですね。みなさん心から望まれていたと思いますよ」

 

7月12日からファンクラブ会員向けのイベントを開催する中森明菜について、こう嬉しそうに話すのは西村知美(53)だ。‘86年、映画『ドン松五郎の生活』で主演&主題歌を歌うという華々しいデビューを飾った西村。“とろりん”の愛称で親しまれ、正統派アイドルとして活躍。同期には山瀬まみや杉浦美幸、水谷麻里らがおり、事務所の先輩は河合奈保子や石川秀美、芳本美代子と、まさに’80年代アイドルの黄金時代を過ごした。

 

「今でこそ’82年や‘83年の先輩方とお仕事でご一緒することが多いのですが、当時では考えられなくて。1〜2年差でも上下関係がはっきりしていた時代ですからね」

 

と、西村はいう。中でも、“花の82年組”の明菜とは特別な思い出があるという。

 

「当時は歌番組がたくさんありましたから、『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』などでよくご一緒させていただきました。あるときの『夜ヒット』だったと思うんですけど……明菜さんが本番前に『私、今でも緊張するの』っておっしゃって。パッと私の手を取ると『心臓がドキドキしてるの、わかる?』って、胸に手を当ててくれたんです。私、明菜さんのバストを触ってるけど大丈夫なのかな、って思いながら(笑)。でも、明菜さんはすごいナイスバディで! ウエストもものすごく細かったのをよく覚えています。

 

あと『オールスターハワイ大旅行団』(‘87年7月放送)のときもとても優しくしていただきました。メンバーがすごい方々で……。田原俊彦さんや近藤真彦さん、シブがき隊に明菜、小泉今日子さん、菊池桃子さんたちと一緒でした。私はデビュー2年目で最年少。その撮影の合間にみんなでクルーザーに乗ったんです。タレントだけが乗り込んでいて、撮影スタッフやマネージャーもいない、夢のような空間だったんですが、私は船酔いがひどくて……。気持ち悪くて横になっていたのですが、明菜さんが『知ちゃんは低血圧だから、私と一緒ね』とおっしゃって、ずっと足をさすってくださったんです。私、低血圧じゃないのにな、とは思ったんですが(笑)。

 

田原さん、近藤さんも心配して部屋をのぞいてくれて、小泉さんはりんごをむいてくださいました。こんな幸せな空間はないなぁ、って思いましたね」

 

明菜について西村は「ニコニコして優しい方」という記憶しかないそうだ。

 

「それに、明菜さんはすごくおちゃめ。明菜さんのコンサートに自分でチケットを取って行ったことがあるんですが、曲の合間のトークで明菜さんが急に『イチ、ニ、サン……』って数えだしたんです。観客はみんな『?』だったんですが、『11,12……ここの会場には非常口が12カ所ありますから、(緊急時は)みなさん落ち着いて避難してくださいね』って。会場が大爆笑だったのが忘れられませんね」

 

芸能界入りする前は、菊池桃子とチェッカーズのファンで、ミーハーだったという西村。それだけに、当時のアイドルたちとの交流は鮮明に覚えている。

 

「毎日、夢のような世界でしたから、いつもカメラと色紙を持ち歩いていました。今でも自宅にはいろいろな方と撮った写真やサインがあります。ただ、明菜さんとのツーショットはなくて。緊張して撮れなかったんだと思います」

 

“役得”はほかにもあった。

 

「アイドルのみなさんをテレビで見ると、普通は正面のアングルですよね。でも、歌番組でご一緒すると斜め後ろから見ることができるんですよ。たとえば、聖子さん。トークの雛壇で聖子さんがタモリさんとお話している際、私はすぐ後ろに座っていたので、透明感のあるきれいな聖子さんの背中を見ていました。真っ白なお肌で感動しちゃいました。

 

堀越高校で一緒だったのが酒井法子ちゃんですが、お互い学校にあまり出席できないからって、私がテストの出そうなところをまとめてコピーしたものを法ちゃんに渡していたと記憶していたんです。でも、改めて当時の荷物を調べてみたら、反対に私が法ちゃんからプリントをもらっていたみたいで(笑)。たぶん、いろいろ交換していたんでしょうね。今でも大切にとってあります」

 

名だたるスターたちとアイドル全盛期を駆け抜けた記憶は、いつまでも色あせることがないようだ——。

出典元:

WEB女性自身

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