(撮影:五十川満) 画像を見る

【前編】左半身まひの女性ファッションデザイナー「気持ち次第で未来は変えられる」――どん底乗り越えた母との絆から続く

 

もし、一生、一足のスニーカーしか履けないとしたら──。

 

この社会には、あらゆる理由でおしゃれの選択肢を断ち切られてしまう人々がいる。病気をきっかけに左半身まひとなり、下肢装具を使うことになった布施田祥子さん(48)もその当事者だった。

 

靴を選ぶ喜び、その靴を履いてどこへ出かけようか考える楽しみ……。誰もが当たり前にファッションを楽しめる社会へ。彼女の靴を履いた人は、皆、希望の表情で未来を見つめている。

 

■ファッションは福祉とあまりに無縁「だったら、私が作ればいいんだ」

 

「なんで私ばかりが、こんな地獄のような日々を。いっそ、死んでしまったほうがラクかも」思わず、10代からずっと押し込めてきた感情が表に出てしまったのだと、布施田さんはふり返る。

 

「出産後に倒れたときも、娘の存在や嵐のライブがあって乗り越えられた私でしたが、実は深夜のベッドで一人泣いてました。それでも耐えて、実際に泣き言を口にはしませんでした。しかし、今回ばかりは、人工肛門を造設すると告知されて、小学校からの原因不明の腹痛から何十年も積み重ねてきたつらさがこぼれ出てしまったんでしょうね」

 

このときも、彼女を救ったのは両親の言葉だった。

 

「起きた現象は変えられなくても、気持ちの捉え方次第で未来は変えられるよ」

 

再びこの場面を思い出し、涙する布施田さんだった。

 

「もっと外に目を向けなきゃと思えるきっかけを、母たちの言葉がくれました」

 

2015年、大腸全摘出と人工肛門造設手術を受け、左半身まひに加えてオストメイト生活となる。

 

「ですが、もう頭は切り替わっていました。改めて、これからは限られた時間を精いっぱい過ごそう、もっと社会と関わっていこうと」

 

すぐに民間の障害者向けの派遣会社に登録し、障害者雇用枠での半年間の勤務を経て、彼女は独立を考えるようになる。

 

「どうせやるなら好きなことでと考えたとき、やっぱり思うのはファッションの分野でした。そして自分が障害者となって感じ続けていたのが、そのファッションはあまりに福祉とは無縁じゃないかということだったんです。

 

なにより私自身、大好きな靴を履けなくなっていました。リハビリを始めたころから『靴ってどうしたらいいの』と思いましたが、病気前に100足近くも持っていたパンプスもブーツも履けません。下肢装具を付けたままでは金属部分が靴の側面に当たったり、足首のストラップが届かなかったりするので」

 

仕方なく、左足がまひしていても平気なスニーカー一足で過ごす生活を受け入れていた。

 

「それまでの下肢装具に対応する靴は機能性重視のものがほとんどで、デザインやTPOは二の次か無視されていて。周囲の障害がある人の『おしゃれな靴がほしい』『サンダルを履きたいけどケガが怖い』という声も届いていて、私としては、何より選択肢がないのが本当に苦痛でした」

 

そして、若いころから自他ともに認めるおしゃれ好きで知られていた布施田さんは決心する。

 

「だったら明るいイメージで、障害があっても、下肢装具を付けてもおしゃれに履ける靴を、私が作ればいいんだ──」

 

折よく埼玉県主催の女性起業家向けのビジネスコンテストがあり、これに応募して’17年9月、キャリアマム賞を受賞。

 

「まだ事業計画書もない状況でのスタートでしたが、ビジネスセミナーで勉強したり、一緒に靴作りをしてくれるメーカーさんに10社以上問い合わせるなかで、私自身の目標もより定まっていきました」

 

そして自身の42歳の誕生日でもある2017年10月26日、ハワイ語で自信や希望の意味を持つ、下肢装具ユーザーでも履ける靴ブランド「Mana’olana(マナオラナ)」を立ち上げた。続いて2019年11月にはLUYLを設立して代表取締役に就任。早くも翌年には、メンズシューズでグッドデザイン賞を受賞している。

 

「“LUYL”は、“Lights Up Your Life”の頭文字で、入院中も移動の車でも何度も聴いていた嵐の『光』という曲からヒントをもらいました」

 

ブランドは順風満帆な滑り出しだったが、布施田さんには一点だけ不満なことがあった。

 

「会社の立ち上げも、いくつかの受賞も、押し寄せた取材も、障害者がやっているということが主に注目されているようで、それは不本意でした。私自身は将来性ある正統ビジネスとして、障害者と健常者の壁を取り払いたくて起業したので。

 

私が目指したのは、デパートの2~3階に置いてもらえるようなデザインの靴を作ることです。7階などの福祉用具コーナーに並ぶのではなく、婦人靴売場に、『健常者でも履いてみたい』と思えるくらいかっこいいライルの靴があってもいいじゃんって。それを今でも目指しています」

 

これまで障害のある人たちに届いたライルの靴はおよそ80足で、問い合わせもコンスタントにある。

 

「先日は試着会に、宮崎から飛行機で駆けつけ日帰りされた50代のご夫婦もいらっしゃいました。あるご主人からは、『元気なころは外出好きだった妻が、障害をかかえて外に出なくなったから、靴を買ってあげたいんだが』と、問い合わせがありました。

 

そんな方たちが、うちの靴を履いて、たとえ近所の喫茶店でも、『外に出かけてみようかな』と思ってもらえるとうれしい。

 

そう考えると、おしゃれ心を取り戻してくれる靴は、障害のある方にとっては単に歩くための道具じゃなくて、人生の新たな一歩を踏み出すきっかけなんですね」

 

布施田さんの活動は靴作りにとどまらない。6年前からは埼玉県の伊奈学園中学校の総合学習で講義を行うなど、障害者を取り巻く社会のバリアをなくすための啓発活動も行っている。さる8月4日も、彼女はファッションと福祉をテーマにしたワークショップのファシリテーターを務めていた。

 

このイベントには、装具の利用者だけでなく、作る側の義肢装具士、福祉やデザインを学ぶ大学生など30人もの参加者が集まった。参加者の男性が自らの義手を外して回していくと、学生からは「こんなに重いんですか」「ゴツゴツしていますね」「肩が痛くなりますよね」と驚きの声が。

 

「健常者と障害者は、互いに『自分たちとは違う』というバリアがありますよね。そこが混ざるのが日常になればと思います。ファッションで、後押ししていきたいです」

 

布施田さんは、その使命を果たすべく、常に超がつく多忙な日々を送っている──。

 

「今月は札幌で、10月は大阪で試着会があります。これまで年末に倒れて入院というパターンでしたから、体のメンテナンスを心がけながらやってます。さすがに病気と40年近く付き合ってきて、少し予防できるようになったかな」

 

次ページ >“生きる希望”になってくれた愛娘 毎日のルーティンはキス&ハグ

【関連画像】

関連カテゴリー: